がんと向き合い生きていく

いくら時代が変わろうと「命が一番大事」なのは変わらない

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 脳が腫瘍で破壊され、長い間まったく意識のない主婦のMさん(60歳)のお見舞いに来た夫のFさんに、担当のR看護師はこんな話をされました。

「そう、うれしいですね。ほら、Mさんは喜んでおられます。体全体がとてもリラックスされていて、気持ちいいと言っていますよ。こんな時、私はMさんから幸せをいただいているのです」

 また、医師の高谷清氏は、著書「重い障害を生きるということ」(岩波新書)で、こう述べています。

「脳の形成がなくとも脳が破壊されていても、本人が気持ちよく感じる状態は可能なのだ」

「『生きているのがかわいそうだ』『生きているほうがよいのだろうか』ではなく、『生きていることが快適である』『生きている喜びがある』という状態が可能であり……そのようなことがなされうるように社会的なとりくみをおこなうことが社会の役割であり、人間社会の在りようではないかと思うのである」

 ある研修会で、私たちがそうした話をしている頃、相模原市にある障害者施設の元職員が、利用者19人を殺害する事件が起こりました。加害者の元職員は「障害者なんていなくなってしまえ! 日本国と、世界のため」と言ったそうです。この事件は単なる異常な殺人事件なのでしょうか。

 介護や医療などの社会保障費が毎年増えて国の財政を圧迫しているという報道が繰り返されています。事件はそんな最近の世相に関係しているのだろうか。障害者や生産能力のない老人は社会のお荷物なのか? 生きている価値がないというのでしょうか。

 以前、障害者施設を視察したある知事が「ああいう人ってのは、人格あるのかね」と発言したという報道を目にしました。また、ある国会議員は、終末期の医療について「いいかげん死にたいと思っても、『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと……」と話したという報道もありました。

■ある学生から気になる内容のレポートが…

 オーストリアの精神科医、V・E・フランクルは、著書「それでも人生にイエスと言う」で、「社会に役立つことが人間の存在を測ることのできる唯一の物差しではない」「人間の生命を生きる価値のない生命とみなして、その生きる権利をはく奪する権利はだれにもない」と言っています。 今年、私はある大学の医療系学生120人に対しての講義(がん診療における患者の生と死)の中で、命は代替不可能であること、Mさんのこと、R看護師、高谷清氏、相模原事件、そしてV・E・フランクルについてお話ししました。講義の後に学生全員からリポートが送られてきて、その中で1人だけとても気になる内容がありました。

「社会的に役立たない人は延命しないで死んでしまえば……という考えが必ずしも間違っていないように思えて仕方ないのです。……命はいったいなんなのでしょうか? 死にゆく人たちを守るために、これから生きていく命をおびやかすことは果たして許されることなのでしょうか?」

 私は、この学生はMさんのような“命の輝き”にまだ出合ったことがないのだろうと思いました。そして同時に、私の頭の中には「生産能力のない老人がどんどん増え、膨大な借金をこの学生らのような次世代に背負わせようとしている現状」が浮かんできたのです。

 しかし、それでも、どうしても「命が一番大切なんだ」という思いは変わりません。

 1994年5月26日、日本学術会議「死と医療特別委員会」では、国民全体の医療経済上の効率性に触れた箇所で「経済効率の観点から人の生死を左右せしめることは、倫理的及び宗教的に許されるものではない」としています。それから24年がたちましたが、時代は変わろうと一番大切なのは命なのです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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