後悔しない認知症

親がボケた!「絶望」「諦め」「怒り」「愚痴」すべてダメ

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

「うちの親、なんか変だぞ」

 高齢の親をもつ40代から60代の世代は必ずそんな思いを抱くときがくる。代表的な「変」が「物忘れ」である。「あれ、どこに置いたかな?」と問う親に「あれって、なんだよ」と聞き返す子ども。それに対して「だから、あれだよ、あれ!」。こんなことが頻繁に起こる。具体的な名前が出てこなくてすぐに指示代名詞を使うようになり、さらに置いた場所も思い出せなくなってしまう。記憶力の低下という「変」である。

 また、生活態度にも「変」が生じる。オシャレだった親が服装に無頓着になる、好きなゴルフをやめてしまう、毎日読んでいた新聞を読まなくなったりする。さらには、穏やかな性格だったのに怒りっぽくなったり、明るい性格だったのに塞ぎ込むことが多くなったりといった性格の変化も見えてくる。そんな親の「変」を見て子どもは「ボケた」とため息をつく。こうした高齢の親の記憶力の低下、行動や性格の変化に気がついたら、子どもはまず認知症の初期症状かもしれないと考えたほうがいい。

「世の中には認知症の人と、やがて認知症になる人の2種類しかいない」

 現代をそう評する人がいるが、人生100年の超高齢社会を的確に言い表す言葉かもしれない。なぜなら、認知症とは主に加齢による脳の変性が原因で引き起こされるものであり、長生きすれば誰でも避けることのできない病だからである。実際のところ、75歳以上になると10%強、85歳を過ぎると50%くらいの人が認知症の診断基準を満たすとされている。ご存じのように現在の日本人の死亡原因のトップはがんだが、老化に伴って認知症を発症する確率は、がん発症の確率を大きく上回る。

 認知症はがんとは違い、それ自体が死に直結する可能性はないが、残念なことに現代の医学では完治させる治療法は確立していない。けれども、仮に親が認知症と診断されたからといって、その子どもが絶望する必要などない。認知症の親を前にして「親がボケた」と諦めてしまうことは禁物である。

■臨床経験豊富な医者を見つける

 まずその兆候を見逃さず、素早く専門医に診てもらうこと。的確な対応で臨めば、症状を緩和させたり進行を遅らせたりすることは十分可能なのである。

 ただし長年、老年精神医学の現場に身を置いてきた者として強調したいのは、臨床経験が豊富な専門医に診てもらうことが大切だということ。巷には、大学の医学部で教授などを務めた後、臨床経験がきわめて乏しいにもかかわらず、これまでの肩書だけで定年後に開業医になった医者もいる。要注意だ。ネットなどで経歴を調べてから受診することをおすすめしたい。

 とにかく認知症と診断されたとしても「いまあるがままの親」を悲しまず「できなくなることが少し出てきただけ」と冷静に受け入れること。「かつての親の姿」を追い求め、親の「変」に感情的になって叱ったり、愚痴や暴言を吐いたりするのは望ましくない。叱って認知症が悪化するのではないが、機嫌が悪くなれば問題行動が出やすくなるし、叱った子どもは罪悪感をもつので介護うつの原因になる。「高齢の親に死ぬまで機嫌よく生きてもらう」のが基本原則だし、こうした経験はやがて認知症になるかもしれない、あなた自身の学びの機会ともいえる。「もっとやれることがあった」と後悔せず、納得できる親子関係のフィナーレを迎えるために、子どもが心得ておくべきことは多い。

和田秀樹

和田秀樹

1960年大阪生まれ。精神科医。国際医療福祉大学心理学科教授。医師、評論家としてのテレビ出演、著作も多い。最新刊「先生! 親がボケたみたいなんですけど…… 」(祥伝社)が大きな話題となっている。

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