がんと向き合い生きていく

「死の恐怖を乗り越える術」多くの患者に出会い考えたこと

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

「もう治療法はありません」

「あと3カ月の命です」 担当医からそう告げられ、セカンドオピニオンを求めて私の外来へ相談に来られたがん患者がたくさんいます。

 まだほかに治療法がある患者には入院してもらって治療を行います。しかし、もう治療法が残っていない患者にはどう答えればよいのか? しかも初めてお会いする方ばかりです。結局、真実を話すしかありません。それでも、眼光鋭く私を見つめる患者の目は、「生きたい」と訴えているのです。

 私は、そんな「生きたい目」とたくさん出会って、「死に直面し奈落に落とされた患者が這い上がる術」や「宗教なしで死の恐怖を乗り越える術」を知りたい、そしてそれを患者に伝えたいと思いました。しかし、過去の医療において、このような医療は行われてはきませんでした。

 江戸時代に書かれた「医戒」には、「死を告げるとは死を与えると名づけるものである。医師はけっして患者の生きる希望を断ち切ることをしてはならない」とあります。その伝統は長く続き、ずっと「短い命」、死を隠す医療が行われてきたのです。

 ところが、患者の知る権利や自己決定権が叫ばれるようになった2000年以後は、「あと3カ月の命です」などといとも簡単に告げられ、死の恐怖にさいなまれる患者が多くみられるようになりました。平均寿命が延び、100歳を越える方も珍しくない時代になりましたが、がんにかかって途中で人生を諦めなければならない厳しさは変わりません。

 哲学者の梅原猛氏は「私たちの生命のなかには、永遠の生命がやどり、それが子孫に甦っていく。この世の生命は受け継がれていくことに救いがある」と言われます。しかし、それでは子に恵まれない方はどうすればよいのでしょうか。

 1万人をみとった米国の精神科医キューブラー・ロスは、「人間はさなぎから蝶になるように肉体を脱ぎ捨てて魂となって別の次元に入っていく。だから死を恐れることはない」と患者に言って回りました。牧師の窪寺俊之氏は、「たった数十年、仮のこの世に現れただけで、魂は宇宙の彼方に戻るのです。死は怖くありません」と言っています。両者とも宗教的な考えが背景にあるのです。

 ドイツの哲学者ハイデッガーはこう述べています。

「死んだら天国にいくとか、自分が死んでも子供が自分の生命を受け継ぐとかいうイメージによって、人は誰でも死の観念を隠蔽しようとする。しかし、これらは死に対する十分な了解ではなく、ただその厳しさを覆い隠すだけのものである。逆に、ここから死の不安ということが人間の気分の本質としてつきまとうことになる」

「死を直視せよ。良心の呼び声が聞こえてくる」

 ただ、そう言いながら良心の呼び声の説明がないのです。

「がん患者・家族語らいの会通信」には、ある方のこんな言葉が記されています。

「人間の体は死によって解体しても、他の生物や物の一部として永遠に存在し続ける」

 こうした先哲の助言はたくさんあります。しかし、その多くは自分自身が“安全地帯”にいるうえでの言葉に思えて、命が差し迫っている患者に響くのか、奈落から這い上がれる術になれるかどうかは疑問なのです。

■心の奥には必ず這い上がれる心がある

 悪性黒色腫にさいなまれ続けた宗教学者の岸本英夫氏は、著書「死を見つめる心」の中で「死を無である」とし、これを「大きな別れ」と解するとしています。これはかなりの説得力を感じ、参考になるように思われました。

 さらに私は、奈落に落ちたが這い上がったと思われる患者に、「どうして這い上がれたか」を聞いてみることにしました。そうした患者の言葉の中で、最も心に残ったヒントは「心の奥には必ず這い上がれる心がある」ということでした。

 私は拙著「がんを生きる」の中でこの点を取り上げました。そして、自然に天寿を全うした方が「恐怖でない死」を得られるように、がんで亡くなるとしても安寧な心が表れることはできないのか。それを模索することにしたのです。

 次回もお話を続けます。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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