「もう治療法はありません」「あと3カ月の命です」などと告げられ、私のところに相談に来られたたくさんの患者さんと接する中で、考えるようになりました。とてもつらい気持ちでおられる患者さんは“奈落”からどうやって這い上がれるのか。宗教ではなく、患者自身が死の恐怖を乗り越えられる、平穏な心になれる「術」をどうしても知りたいと思ったのです。
ある時、拙著「がんを生きる」を読んでくれた籏谷一紀氏から、手紙と一緒に本が届きました。「私は先生が探しておられる『死の恐怖をのり越えられる術』の条件にあうような体験をしたように思います」と送っていただいたのは、自身が悪性リンパ腫と闘った経験をつづった闘病記「体に聞く骨髄移植」でした。
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「この病気になると、どうしても自分の死を考えずにはいられません。本当に死が迫った時に心を支えるもの、それは生きてきた意味や生まれてきたことへの納得ではないかと思いました」
「死の問題を考え続けていると、一つだけ分かったことがありました。それは死の問題は頭で考えても決着がつかないということです。……しかし、答えがでるかどうかに僕の命がかかっていましたので、とにかく考えることだけはやめないでいると、『考える型』のようなものが自然に身についてきました。それは『体に聞く』という方法です。……具体的に動くという意味で……自分の人生を振り返るようにして過ごした場所を順々に巡って人生を再体験することを思いついた」
「……マンション近くの小川まで来ると……秋は深まって、川沿いの木は風にゆれて葉を落していました。足もとの落ち葉をひろって指でもてあそびながら、川を眺め続けました。川の水はところどころ渦を巻きながら流れていきました。水は渦の所で巻き込まれながらも、先へ先へと流れていきます。
……どれくらいそこで過ごしていたか分かりませんが、気づくと足もとに枯葉がたくさん落ちていました。大量の落ち葉を見て、ふっとこう思いました。『死は特別なことではなく自然なことだ。そして僕も自然の一部である。だから僕が死ぬのは自然なことだ』
……この旅行に満足し……もう少しで解決できる所まで問題を追い詰めたと思っていたのに、死を考えることが僕の中では必要のないことになった感じがして考えようとしませんでした」
「それから数日が経って、駅前の商店街に買い物に出かけました。横断歩道で信号待ちをしていると、視野の左上から光が射しました。太陽だったと思うのですが、見上げて光が目に入った瞬間に、『子どもだ、人生の可能性は子どものことだったんだ』と気づきました。僕の命から次の命に流れていく強いつながりを感じました。そこにはとても深い感動がありました」
「そして僕の魂が震えた時、初めて『生きたい』と思いました。そしてこれも脳内現象だと思うのですが、ずっともやもやしていた視界がすっと晴れて、遠い先まで続く1本の道が見えました。そこには人も動物も何もありませんでした。ごつごつとした岩から切り出したような道は大きくうねって続いていました。それを見た瞬間、開放感につつまれました。『そうか、この道を進めばいいのか』と一歩踏み出した時、『これで移植が受けられる』と安心しました。8カ月以上悩んでようやく心が決まりました」
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この青年の体験から、死の問題を「頭で考える」ではなく「体に聞く」ということ、人生を再体験してみることは死の恐怖を乗り越えるひとつの方法だと理解できました。
そして、どのような条件が揃えば彼が信号待ちしていた時のような場面にあえるのか、それが分かれば死の恐怖の奈落から這い上がれるのではないかと思ったのです。
さらに、お話を続けます。
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