独白 愉快な“病人”たち

重病3つ同時に…シンガー小坂忠さん壮絶闘病から復活まで

小坂忠さん
小坂忠さん(C)日刊ゲンダイ

 手術室に向かう直前、娘がボクの唇にキスをしたんです。いやぁ、娘とはいえ、もう40歳を越えていますし、なんだか妙にドキドキして「これで最期なのかな」なんて思いが頭をよぎったりもしました(笑い)。

 がんを知っても意外と楽観的で、「知らない間にこんなことになっていたんだな」と淡々としたものでした。でも、手術後、目が覚めて家族の顔が見えたときは、やっぱりホッとしましたね。

 大腸のS状結腸を20センチ、胆のう全摘、胃の3分の2を一度に切除したのは去年8月末のことです。いまは「本当にそんな大病だったの?」とみんなに疑われるくらい元気ですが、「ステージ4の大腸がん」と「急性胆のう炎」と「胃がん」が同時に見つかったんです。

 始まりは食欲の減退。というより、便秘気味で固形物が体に入っていかない感じでした。7月あたりから、甘酒などを飲んでごまかしていたんです。そんな折、被災地支援で熊本を訪れたとき、ひどい腹痛に襲われました。ステージは、やりきりましたが、東京に戻ってすぐに近場の病院へ行ったんです。

「おそらく胆のう炎だと思いますが、もう少し検査をした方がいい」ということで杏林大学病院を紹介され、すぐその足で救急外来に行き、検査をされてそのまま緊急入院でした。その後「ステージ4の大腸がん」だと分かりました。便秘気味だったのは、がんが大腸を塞いでいたせいだとそのとき知りました。

 胆のうと大腸の一部を腹腔鏡手術で切除する話が進んでいる中、「念のために」と胃を検査したら胃にもがんが見つかって、開腹手術をすることになってしまいました。

 絶飲食がスタートし、水一滴飲めない状態が術後を含め50日間も続きました。栄養は点滴だけ。しかも、体力が落ちないよう高カロリーの栄養を入れるために、心臓近くの静脈までカテーテルを挿入する手術が先に行われました。初回はうまく入らず、やり直しになるアクシデントはありましたが、大きな動揺はありませんでした。

 本番の切除手術は10時間。予定を2時間もオーバーしたようです。一番きつかったのは、そこから2週間ぐらいの期間でした。肺に水がたまり、体には管が何本もつながれ、身動きが取れない状態。もちろん、トイレも看護師さんが全部やってくれる。何よりそれが男としては屈辱的で、肉体の痛みより、むしろそっちのほうがつらかった。

 肉体は肉体で痛み止めを使っても眠れないほど痛かった。ただ、家内がお見舞いに来て、ボクの足をさすってくれるときだけは不思議と眠れました。「私がいるときぐらい起きててくれればいいのに」と言われましたけどね(笑い)。

■絶飲食が終わり、最初に食べた「おもゆ」に涙がこぼれた

 ちょっと面白かったのは、うっかりナースコールをベッドの下に落としてしまったときのことです。動けないときのナースコールは、唯一の連絡手段でしょう? いわば命綱。それを失ってすごく困りました。で、ふとひらめいて枕元にあったスマホを持って音声アシスタント機能を呼び出しました。「シリ、杏林大学病院へ電話して」と言ってみたら病院の代表電話につながったので、受付から病室のフロアのナースセンターにつないでもらい、「○号室の小坂ですが……」と遠回りのナースコールをしたんです。我ながら傑作でした。

 思わず泣いてしまったのは、絶飲食が終わって最初に食べたおもゆです。おもゆって、まるで糊を水で薄めたようなものでしょう? 味も素っ気もない。でもね、50日ぶりに口に食べ物が入ったら感動しますよ。決しておいしくはなかったけれど、「こんなもので?」と思いながら涙がこぼれました。

 退院したのは10月初旬で、下旬にはもうコンサートで歌っていました。今回の入院で「歌いたい」という思いが一層強くなった気がします。体力や免疫力が落ちてしまう抗がん剤治療はしていません。ボクにとっては歌うことが治療であり、免疫力を上げてくれるものだと思っています。

 実は今も肺にがんを抱えています。大腸がんから転移したがん。だから「肺がん」じゃなくて、肺にある大腸がん。どうやら性質が違うものらしいです。手術はできないと言われ、抗がん剤治療を勧められましたが、自己免疫力を信じてみることにしました。

 退院後、知人の勧めで国立がん研究センターのセカンドオピニオンを受けたら、「こちらが弱くなるとがんが強くなる。人間とがんの関係は50対50」といった話をされました。その言葉も力になっています。病気によって、“人生にはピリオドがある”ということを意識したと同時に、改めて家族の大切さを知ることができました。家内には「小坂忠じゃなくて自己中」なんて言われてますけどね(笑い)。

 =聞き手・松永詠美子

▽こさか・ちゅう 1948年、東京都生まれ。66年ロックグループ「ザ・フローラル」でデビュー。細野晴臣、松本隆らと結成した「エイプリル・フール」を経て、71年からソロ活動を開始した。代表作「HORO」は今なお音楽界に影響を与える名盤といわれており今年11月26日には奇跡の再現コンサートが開催された。76年にクリスチャンとなり、91年に牧師となる。東日本大震災後は被災地支援コンサートを続けている。12月22日(土)には「ChristmasinPeaceConcert2018」(秋津ゴスペルチャーチ)を開催予定。2019年2月15日にはビルボードライブ東京でのコンサートが決定している。詳細はオフィシャルサイト<http://www.chu-kosaka.com>まで。

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