がん発症の妻にしてあげた10のこと

<3>手料理を褒める 「おいしい」と言わなければ伝わらない

小宮孝泰さん
小宮孝泰さん(C)日刊ゲンダイ

 結婚式の翌日、佳江さんが最初の夕食に作ってくれたのは、ロシアの代表的料理、ビーフストロガノフだった。料理上手だった彼女は、クリームシチューひとつとっても市販のルーは使わず、小麦粉をバターで炒めるところから始めた。

「彼女は早くにご両親が離婚してましたから、ずっと前から外で働く母に代わって弟の分まで食事の世話をしていたそうです。ですから、彼女の料理はとてもおいしかった。私はその都度、手料理を褒めてきたのですが、作ってくれた料理について、子供の頃から『おいしい』ときちんと感謝の言葉を言っていました」

 それには父親が反面教師になっているという。

「私の母は料理上手で、調理師免許まで持っていたほどです。だけど、うちの父は無口な人で、たとえおいしくても、おいしいと言わない人でした。昔の男性が皆そうだったといえばそうなのかもしれませんが、いつか業を煮やした母が、父に『おいしいの?』と聞いても黙っていた。『どうして黙っているの?』と聞くと、『黙っているということは、おいしいんだ!』と言う。私は幼いながらに『これでは伝わらないなぁ』と思っていました」

 男子厨房に入らずで育ってきた親世代は、作ってくれた料理についてもうまい、まずいを口にしない不文律のようなものがあった。

「ただ、我が家のキムチは一般的な赤くて辛い唐辛子入りのキムチではなく、白菜漬けの水キムチでした。父は朝鮮半島からの引き揚げ組で、水キムチはまさに祖母譲りのおふくろの味だったはず。一方、母は朝鮮には行っていませんので、おそらく父が母に頼んで水キムチを作ってもらっていたはずなのです」

 小宮さんは一度、その料理の感想に絡んで佳江さんを悲しませてしまったことがあった。

「私は、サケは昔ながらの塩の利いた塩ザケが好きで、今風の甘塩ザケとか、サケのホワイトソースとかいった料理は、あまり箸が進まない方なのです。妻は塩分を気にしてそうしてくれていたのだろうし、その気持ちもわからないでもないが、一度、『あんまり好きじゃないな』といった感じで、味の好みを言ってしまったのです。決して『おいしくない』と言ったわけではないのですが、妻は少し不満そうにすねた顔をしていました。その時、『ああ、おいしくなくても、おいしくないと言ってはいけないんだな』と学習しました」

 一人暮らしになって、たまに友人を招き手料理を振る舞うことがある。レシピなどは佳江さんが教えてくれた。「おいしい」と褒められると、やはりうれしくなるという。

 (つづく)

小宮孝泰

小宮孝泰

1956年、神奈川県小田原市生まれ。明治大学卒。80年、渡辺正行、ラサール石井と「コント赤信号」でTVデビュー。91年に佳江さんと結婚。2001年、31歳の佳江さんに乳がん発症。12年に永眠。今年9月に、出会いから別れまでの出来事をつづった「猫女房」(秀和システム)を上梓。

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