佳江さんが乳がんになった2001年、りゅうが家族の一員になった。アメリカンショートヘアの雑種の子猫で、背中や横っ腹の柄がイノシシの子のウリ坊に似ていたので、“ウリ”をひっくり返して“りゅう”と名付けられた。その7年後にはライも加わる。
「ずっと前から彼女は猫を飼いたがっていました。ただ、僕は小学生の頃、飼っていた犬を自分の不注意というか、エサもきちんとやらず、散歩にも連れて行かずに野良犬にしてしまったのです。そんな負い目から、ペットを飼うのはやめようと思っていました。ただ、りゅうを飼い始めると、トイレはすぐに覚えたし、食卓に上って食べ物にいたずらをするようなこともなく、あまり手のかからない、いい子でした」
しばらくして、カメラ好きの佳江さんの親類から一眼レフカメラの立派なセットを譲り受けた。
「たまたまフィルムカメラをもらいました。世の中がデジカメに移行する頃でしたが、フィルム派のカメラマンがひとり誕生したわけです。彼女が使ったカメラは今もそこにありますが、残したのは全て紙焼き写真。彼女が亡くなってから、写真やネガをすべてCD―Rに落とす作業を続けたのですが、すべて整理するまでに6年以上かかりました。全部で5000枚以上はあると思います」
当然、被写体のメインどころはりゅう君らが務めることになった。
「初めの頃は日々の猫の姿をそのまま撮影していただけでしたが、そのうち彼女はカルチャーセンターの猫写真講座に通い出しました。すると、写真の技術が上がっただけでなく、撮影のロケーションや雰囲気にも凝るようになったのです」
そんな佳江さんに連れられ、いろんなところへ出かけたという。最初の頃は近所や新宿中央公園。遠出の旅行先では猫探しが必須条件だった。
「2人で旅行に出かけるときは、妻の実家に猫を預けていました。旅行がてら猫も見に行くというのではなく、猫そのものが目的です。猫で有名な尾道、新潟市のオーナーが猫好きのワイナリー『カーブドッチ』、北九州小劇場というすてきな劇場で公演した時は、休演日に彼女を呼んで門司港にも行った。そこへ猫が登場し、妻は何枚もシャッターを切っていました」
猫好き夫婦は海外にまで足を延ばす。
「台湾も猫のために行った。妻がチェブラーシカの大ファンだったこともあって、ロシアにも行きました」
だが、ロシア行きの前、がんは骨に転移していた。 =つづく
がん発症の妻にしてあげた10のこと