後悔しない認知症

「危ないから」「病気だから」と行動を制限してはいけない

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

「できることが少し減るだけ」

 高齢の親が認知症と診断されたとしても、子どもはこう冷静に受け止めることが大切だ。むやみに悲観したりあわてたりする必要などない。

 もしかすると現役バリバリだった頃の親を「あるべき親の姿」と考えて「いまの親」を受け入れられないという人がいるかもしれない。だが、自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。「自分は若いころにできたことをいまでもできているか」と。通勤時に駅の階段を上り下りするとき、新聞を読むとき、固有名詞を思い出すとき、若い世代と話すとき……。さまざまな「衰え」を感じているはずだ。それが年を重ねるということなのだ。そんな自分自身の衰えを感じて、あなた自身は「俺はもうダメだ」と感じるだろうか。そんなことはないはずである。

 仕事のシーンで考えてみよう。いま40代以上のあなた自身も20代、30代のころのように体力、気力に任せた働き方はできない。あなた自身もさまざまな意欲の低下を感じているはずだ。だからといって、あなた自身は仕事のシーンで「厄介者」になっているわけではない。できることはまだまだ多いはずである。

 遊びのシーンではどうか。ドライバーの飛距離が200ヤードから180ヤードになったとしても、スコアは格段に落ちただろうか。経験で培った小技でスコアをまとめてゴルフを楽しむことは可能である。「まだできること」に目を向けることで仕事の質、遊びの楽しみは維持できるのだ。

 もちろん一般的な加齢による老化現象と認知症を同列に論じることはできない。40代から60代に起こる意欲低下は脳の前頭葉の萎縮によって起こるものだが、認知症の場合はそれに加えて脳の海馬の萎縮→記憶障害、側頭葉の萎縮↓理解力の障害、頭頂葉の萎縮↓失見当識が起こる。この失見当識とは認知症の主たる症状で、いまの自分を取り巻く時間、場所、人、状況などを正しく認識できなくなる状態のことである。

 だが、悲観する必要はない。

「失った力を求めず、残存能力をできるだけ長く維持する」。これが人生の後半を生きる人間に求められるスタイルだ。認知症の親に対しても「認知症になったからもうダメ」ではなく、「認知症でもできることはたくさんある」とポジティブに考えることだ。「認知症だから」と、親の行動を制限してしまうことがいちばんいけない。認知症の症状を完全に治すことはできないが、脳を使い続けることで萎縮の進行を抑えることは可能だと考えるべきだ。

 そのためには、仕事を続けることはもちろん、家庭内の作業、孫の世話。人との交流、あるいは外出などがきわめて有効だ。簡単に言えば「脳を休ませない」ということ。使わないときに脳の萎縮が進むかどうかについてははっきりとした証拠はないのだが、臨床的には機能低下は確実に起こるということはいえる。

 親が認知症と診断されると「できないから」と仕事をやめさせたり、「危ないから」あるいは「世間体があるから」と子どもが家の中に閉じ込めてしまったりするケースがある。これは脳への刺激が減ることで萎縮を早める行為といっていい。

 かつて100歳を越えて人気者になった「きんさんぎんさん」。あの双子の姉妹にも明らかに認知症の症状はみられたが、マスコミに登場してさまざまな人たちと交流することを楽しんでいるように見受けられた。家族が「親のできないこと」に悲観せずに、親の残存能力を生かしながら、機嫌よく晩年を過ごさせた格好の例だろう。

和田秀樹

和田秀樹

1960年大阪生まれ。精神科医。国際医療福祉大学心理学科教授。医師、評論家としてのテレビ出演、著作も多い。最新刊「先生! 親がボケたみたいなんですけど…… 」(祥伝社)が大きな話題となっている。

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