佳江さんは決して“闘病”という言葉は使わなかったが、病気に関する知識を吸収しようと懸命に努力していた。「患者よ、がんと闘うな」という本と出合い、慶応義塾大学病院の近藤誠医師(当時)にセカンドオピニオンも託した。
「日々刻々とさまざまな薬が出てきます。妻は薬についても医師に言われたからではなく、ちゃんと調べてから使うようにしていました。今は患者が医療を選ぶ時代なんだと思います。佳江はそうしていましたし、そうでなくては、自分で納得できなかったのでしょう。少なからぬ患者さんが、『先生がそう言うので』と医師の推奨する治療を受けがちですが、それで具合が悪くなると、誰か他人のせいにしたくなるでしょう。後から話を聞いて、『あの薬はダメ』『こっちの治療法がよかったのに』と勝手なことを言う人もいます。佳江は自分で調べた結果、抗がん剤は副作用が強すぎると判断し、くりぬき手術と放射線を選びました」
小宮さんも一緒になって勉強した。
「男性の場合、医師に乳房の全摘を言われたら、『子供も大きくなったし、もうおっぱいは要らないだろう』と安易に考えがち。ですが、患者が納得した上の手術でないと意味はありません。本人が一所懸命に勉強しているのなら、こちらも勉強してあげなくてはいけません」
佳江さんの勉強の対象は、がんに限ったものではない。一般の市販薬についても、熱心に本を読んでいたという。
「僕が風邪をひいたとき、普通に風邪薬を手にとったところ、『風邪を根本的に治す薬はない』と説明されました。解熱剤や咳止めなど対症療法の薬はありますが、せっかく体が体温を上げてウイルスを排除しようとしているのに、それを邪魔してしまったら、体はちっともよくならない。だから僕は葛根湯を飲むようになった。とはいえ、熱が出たら飲んでも構いませんよ。ただし、がんに関してはやっぱり命に関わる病気ですし、単に生きるか死ぬかだけではなく、いわゆるQOL(生活の質)にも関わってきます。ですから、『先生のおっしゃることでお願いします』というのではなく、自分たちで勉強しなくてはいけないと思うのです」
佳江さんは実の父もがんで亡くしている。
「ご両親は彼女が10歳ぐらいのときに離婚されていて、僕と出会い、結婚を報告しようとしたら、がんで亡くなっていたことが分かりました。だから、自分ががんで死んでも仕方ないという気持ちが心のどこかにあったのかもしれません。決して、生きることに熱心じゃなかったわけではない。とても勇気があったとしか言いようがありません」 =つづく
がん発症の妻にしてあげた10のこと