独白 愉快な“病人”たち

手術後はサイボーグになった…北村肇さんが直腸がんを語る

北村肇さん
北村肇さん(C)日刊ゲンダイ

 実は子供の頃から病気がちで、小学2年生のときに肺結核を患って以来、年中、風邪をひいていたし、胃腸の具合も悪かった。

 大人になって、著名な中医学の先生に診てもらったとき、「アナタ、カワイソウナヒトネ」と言われました。こんなに虚弱体質で、よく生きていられるなという意味だったらしいのですが、体調が思わしくないことに慣れているから、自分にとっては、その状態が普通だったんです。

 そもそも僕は、健康診断は受けない、病院には行かない、インフルエンザの症状が出たら熱い風呂に入って2~3日寝るという具合で、たとえ重篤な病気でも、いずれ自然と治っていくだろうと考えていました。根拠のない自信です。

 ところが、昨年の暮れ、そんな僕でもおかしいと感じる症状が表れました。

 もともと下痢症なのに便通が悪い。トイレに行きたくて駆け込むのに便が出ない。出れば下痢……。そのうちにお腹が膨らんで、そこにガスがたまっているのが分かる。その頃、喫茶店で打ち合わせをしていたら、鼻血が出てね。5分くらい止まらずに、みんなに心配をかけて、翌朝再び鼻血が出て止まらなかったこともありました。

 体重も量らないから正確には分からないのだけれど、どんどん減っている気がする。ズボンがゆるゆるになり、周りから「痩せた」と言われることが多くなりました。

 そんなとき、部下に「ちゃんと病院に行って調べてください。あなたは社長なんだから、私たちに対して責任がある」と言われたんです。これは説得力があるなと思っていたら、「実はある超能力者に北村さんの写真を見せたら『ああ、この人、大腸がんだね。いま(病院に)行けば助かるけど、このまま放っておいたら死んじゃうよ』と言われた。とにかく一度調べてください」と言うんです。

 それが今年の2月ごろの話です。馴染みの鍼灸の先生も心配して内視鏡が上手な医師を紹介してくれて、4月下旬に連絡しました。すると、「5月17日まではいっぱいです」との答え。まだ2週間以上あるなぁと思っていたら、電話の途中に「5月1日にキャンセルが出たので診察できます」と言われたんです。

■流れに身を任せようというのが正直な気持ちでした

 1900ミリリットルの下剤を処方され、検査当日、何度かに分けて下剤を飲むのですが、便は出ない。そのうちに、意識が朦朧としてきて、それは体調不良慣れしていた僕にとっても生まれて初めての症状でした。とにかく立っていられない。痛みはないのですが口がうまく利けない。タクシーでクリニックに向かい、緊急で診察を受けると、内視鏡が入らない。下剤で腸閉塞を起こしていたんです。

 そこから救急車で総合病院に運ばれて、即入院。翌日「S字結腸部に4センチの腫瘍がある」とがん宣告を受けました。冷静に考えれば、今までの症状は大腸がんそのものだよなぁとか、人工肛門は面倒くさい。でも、最近は以前と比べて使いやすくなっているのかなとか、いろいろ頭をよぎりました。でも、じたばたしても仕方がない、流れに身を任せようというのが正直な気持ちでした。

 主治医の治療プランは、お腹にたまった下剤が起こした大腸炎を治療した後、がんの手術をするというものでした。冒頭で話した通り、病院は嫌いですが、あの体調の悪さを振り返れば、治療しておくかと考えました。18日間入院して大腸炎を治療した後、いったん退院。退院後5日目から2週間分はたまっていた仕事を会社で片付け、がん手術のために再入院したのが、6月9日でした。そこから17日間の入院生活です。

 当初、一般的な開腹手術で、がんを含めた直腸を20センチほど取り除くという説明でしたが、内視鏡手術に変更してもらいました。

 担当医は非常に優秀な方で、手術は成功し、病理検査の結果、ステージⅢA、がん相のいい高分子系と診断されました。

 転移しにくいがんとはいえ、4センチの大きさまで育ててしまっていましたから、リンパや血液の転移を鑑みて、再発を防ぐために抗がん剤治療を提案されました。でも、それは断りました。

 こう言うと誤解を招くかもしれませんが、「手術後の自分は、サイボーグになった」と感じています。メスを入れ、臓器を20センチ切ってつなぎ合わせた。手術前の自分とは異なる次元の存在になったという自覚があります。だからこそ、これ以上、体を傷めることはやめて、がんと共存すればいい。

 ストレスをためずに、毎日9時間寝て、卵を6個食べて、適度な運動をして免疫力を高め、ここから先は生まれ変わった“新しい人間”として楽しもうと考えています。

 実はその後、CT検査で肺に転移した可能性が高いと言われたのですが、物理的な処置は一切せずに、モルヒネで苦痛を和らげる感じかな、と考えています。

 (聞き手=池野佐知子)

▽きたむら・はじめ 1952年東京都生まれ。東京教育大学文学部卒業後、1974年に毎日新聞に入社。社会部デスク、サンデー毎日編集長を歴任した。1995年から2年間、日本新聞労働組合連合委員長を務める。2004年1月に毎日新聞を退職し、2月から「週刊金曜日」の編集長に。2010年10月㈱週刊金曜日の社長に就任し、2018年9月に退任。現在はフリージャーナリストとして活躍している。

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