がんと向き合い生きていく

「標準治療」には患者の意志が尊重されているのだろうか

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 がんの治療は、新薬がどんどん開発されるなどで大きく進歩しました。また、15年ほど前からはガイドラインが普及し、標準治療として全国どこでも高いレベルの診療が受けられるようになりました。

 ただ時々、疑問に思うことがあります。「標準治療」というものが、あたかも金科玉条のように考えられているように感じる場面があるのです。

 ガイドラインを作成した時は、「治療の適応についての目安を提供する。ガイドラインと異なる治療法を施行することを規制するものではない」としました。ところが、「標準治療が効かなくなったら、あるいは標準治療に当てはまらなかったら緩和を勧める。それでなんら問題はない」と言われるかもしれませんが、はたして、それでがん患者本人の「治りたい」という意志は尊重されているのでしょうか?

 たとえば、病状からしてこのままでは命がなくなるのは明らかだ。それなら頑張ってみよう。やってみなければ分からないし、大変かもしれないが助かるかもしれない――そんな場面での“挑戦”が少なくなっているのではないか。そのような気がするのです。

■「助かる道はそれしかない」と挑戦した

 自分の若い頃の思い出を振り返ります。正月を控え、「今年は落ち着いていて、担当している入院患者に重症者はいない。年末年始の当直に当たっているのは1日だけだし、平穏な正月を迎えられるかな?」と内心思っていても、急に他の病院から重症患者を依頼され、結局、普段、日曜日がないのと同じように、正月でも毎日毎日出勤することになるのでした。

 ある年のクリスマスイブ、服飾店に勤めるAさん(28歳・女性)が某病院から紹介されて来ました。全身痛、高度な貧血、止まらない歯肉出血と鼻出血、両下肢に多数の細かい出血斑があり、急性白血病の疑いでした。

 血小板数は1万しかなく、すぐに骨髄穿刺をすると、がん細胞の塊がたくさん見られました。「骨髄がん症」(骨髄にがんが転移している状態)で、胃内視鏡では胃がんが見つかりました。低分化型胃がんが全身の骨髄に転移し、出血が止まらない「播種性血管内凝固症候群」(DIC)という状態でした。

 このような場合、ほとんどの病院では終末期と判断し、輸血は行ったとしても緩和的な治療だけで諦めるのが常識だったと思います。血小板数が1万しかないのに抗がん剤治療をするのは冒険、挑戦でした。

 しかし、助かる道はそれしかない。しかも、私は内心「治療で勝てる。負け戦ではない」と思っていました。このような場合の治療文献はなかったのですが、当時から多くの胃がん患者の化学療法を行っていた私は、低分化型の胃がんこそ化学療法がむしろ効きやすいと考えていたのです。

 DICに対する治療(血を固まらせない、輸血、血小板輸血など)に加えて、抗がん剤治療を行いました。Aさんは全身痛と、血の混じった唾液が固まると窒息する危険があり、まさに生死をさまよった年末でした。それが、正月に入って急激に治療効果が表れ、出血も止まり、体も楽になりました。何よりも、あの苦痛にあえいでいたAさんに笑顔が見られるようになったのです。

 Aさんは、約3週間後には血小板数が16万7000まで回復し、貧血と全身痛も改善しました。そして、1カ月後には退院して、職場復帰できたのです。病気が完全に治ったわけではなく、約6カ月後には再度悪化しましたが、こうした治療は緩和的化学療法としてとても有用でした。

 1月3日の午前中、入院しているAさんを診察し、ようやく落ち着いてきたのを確認して安心できた私は、午後から一家4人で近くの神社に初詣に行きました。その帰り道、着物姿の幼い娘と息子は何も知らないのですが、破魔矢の鈴の音に合わせて私と一緒に大声で「大丈夫だ! 大丈夫だ!」と繰り返しながら歩きました。妻は「恥ずかしい」と呆れていました。

「標準治療がすべてではない」、そんなことを考えさせられる思い出です。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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