独白 愉快な“病人”たち

洞口依子さん がん手術から10年後に発症したリンパ浮腫を語る

洞口依子さん
洞口依子さん(C)日刊ゲンダイ

 2004年、「子宮頚がん」と診断され、8時間に及ぶ手術で子宮と卵巣を全摘し、抗がん剤と放射線の治療を受けました。

 それから10年ぐらいはがんが再発することもなく健康だったのですが、3年ほど前、警戒していた「リンパ浮腫」を発症しました。

 リンパ浮腫は、リンパ節郭清(手術の際、がんの転移が疑わしいリンパ組織を切除すること)の副作用として発症する浮腫です。発症しない人もいれば治療後すぐに発症する人もいるらしく、10年後に発症するケースもある。私はずっと大丈夫だったのですが、そのまさかの10年後に発症。医師とも「とうとう来たのか」と、なんだか笑っちゃいました。

 私の場合は左脚。水風船がたまるみたいにむくみ、リンパ液が上に上がらず、どんどん下にたまってしまうんです。一度発症すると完治は困難だと聞いたので、これ以上悪化させないために、私はリンパ浮腫専門のリハビリに通っています。治療は他に専門のマッサージなどもありますが、美容マッサージとは異なり、専門の医療技術が必要です。施術する技術者に対し、患者数が圧倒的に多いので、予約が取りにくいのも難点です。

 リンパ浮腫を取り巻く環境は、まだまだ厳しいようです。

 病気のことは当事者になってみないと分からないことも当然あるでしょう。なので、私のようなメディアを通じて仕事をしている人間が、リンパ浮腫で悩んでいる人の声を世の中に届けなくちゃとも思います。

 でも、病気のことって人それぞれなので、旗を振って物を言うことの難しさも同時に感じています。私には何ができるのかなって。

 例えば、弾性ストッキング。浮腫に効果があるというので病院から薦められたものを私も常用していますが、とにかく圧が強力で、とてもはきにくい。医療用なので1足数万円もする。

 国の保険で何割か補助が出ますが、その都度、書類を作成し提出して申請許可を得られないと補助は下りない。しかも、年間に申請できるのは2~4本など数量の上限がある。安易に買い替えられないので、穴が開いたり多少緩んでも、皆さん大事にはいている。

 厳密に言えば、1年に2~4本のみ、高い医療用ストッキングを試着もせずに買うのです。これには何だかちょっと腑に落ちない。なので、メーカーさんに直接電話して「フィッティングのお試し会を無料で開いてくれませんか」って要望したこともあります。

 真夏に真っ黒なタイツをはいてて「暑苦しい!」と言われたり、お気に入りの履けなくなったサブリナシューズは全部処分しました。でも、志向を変えて髪もバッサリ切り、装いも新たにイメチェンして、リンパ浮腫による変化を楽しんでいます。

■「一人の意見じゃ何も変わらない」と諦めたくない

 リンパ浮腫外来のある病院も本当に少なかったのです。手術という手段もありますが、賛否あるようだし結局、諦めてしまう患者が多いとも聞きます。

 病院の先生は、「日本の女性は辛抱強い」とおっしゃっていました。私が子宮頚がんになった2004年くらいは高齢な患者が多かったけど、今は若い患者が増えている。辛抱強かった世代から患者も世代が変わった。

 しかも、若い人たちには未来がある。たとえば仕事、あるいは結婚や出産を諦められないという方も、もちろんいるでしょう。

「一人の意見じゃ何も変わらない」と、私は諦めたくない。小さな魚も群れになれば大きな魚に見えるのと同じように、いつか、何かやってやろうとヒタヒタと狙っています(笑い)。

 子宮頚がんの治療後、その病気の体験を「子宮会議」というタイトルの本に記しました。2カ月という長い入院生活、その後の苦悩や葛藤、喪失感は幾度となくネガティブなブラックホールに引きずり込まれそうになりました。踏みとどまれた理由は何かと振り返ると、「生きたい」と思うシンプルな気持ちに思えたんです。「もっと生きて、夢を見て、何かを生まなければ」と。

 何事も元気で、生きているうち。あれこれ思い出すこと、したためること、そして先輩から譲り受けたもろもろを、若い世代へ継承するという重要な役割も含めて。

 病気を知るまでは、若さにかまけて時間を随分浪費しました。40歳手前で肩を掴まれ「生と死は表裏一体」と気付かされた。大げさに聞こえるでしょうが、今は生きている時間の貴さを深く感じられます。夢見るように、生きていることをもっと楽しみたい。心からそう思っています。

 リンパ浮腫でも、へっちゃらなんだから! って(笑い)。

=聞き手・松永詠美子

▽どうぐち・よりこ 1965年、東京都生まれ。80年、「週刊朝日」の表紙モデルに抜擢されて注目を浴び、雑誌「GORO」のグラビアを経て黒沢清監督の映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」で芸能界デビュー。以後、映画、テレビドラマなどに数多く出演。97年に結婚。2004年に子宮頚がんが発覚し、闘病を経て復帰。17年にはマーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙―サイレンス―」に出演。著書に「子宮会議 」(小学館)がある。

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