独白 愉快な“病人”たち

胆のう手術後も精神的に苦しみ…武田双雲さんが学んだこと

武田双雲さん
武田双雲さん(C)日刊ゲンダイ

 痛すぎてのたうち回ったのは、忘れもしない2011年8月1日でした。当時、書道家としての仕事のほかに、出版物やイベント、テレビ出演などいろんなオファーが一斉に殺到して、ものすごく忙しかったんです。で、初めて“1カ月丸々休む”と決めていた、その休み初日の激痛でした。脇腹から背中にかけて、とにかく痛い。痛すぎて壁を思い切りパンチして手が腫れあがっても、そっちの痛みは感じないくらいでした。

 近くの病院に行ったものの、痛み止めがなかなか効かず、最終的にバズーカ砲みたいな太い注射をお尻に打たれたんです……。それが効きすぎて気を失って、3日間車イスでの通院になりました。そのうち痛みはとれたのですが、あれこれ検査しても原因が分かりません。家にいても具合が悪く、気持ちが悪い。さらには熱が出て、子供に「パパ、黄色い」と言われて目に黄疸が出ていることに気づきました。そして、1週間ほど経って再びあの激痛に襲われたんです。

 深夜、前回とは違う病院に駆け込んでみると、即入院となり、すぐに「胆のう炎」と「胆管炎」が分かりました。痛みは間もなく治まりましたが、胆のう内に3つほどの胆石が確認され、発作はいつ起きるか分からない状態。医師に「胆のうを取りますか?」と手術を促されましたが、内臓を取ることに抵抗があり、「少し考えます」と答えて退院しました。

 それから、なんとか胆のうを温存しようとして病気の一因である油分を食事から一切排除し、中国人の先生がいる“気功”に通い始めました。東洋医学に希望を抱いたのです。そのために藤沢から東京まで電車で通いました。でも、体調は最悪で、いつ来るか分からない吐き気と「倒れたらどうしよう」という恐怖の連続でした。一番ひどいときはエレベーターのボタンを押す力もないくらいで、具合が悪すぎて何も考えられませんでした。

■診断から8カ月で手術を決意も…

 そうやって8カ月間、養生したのですが、状態は悪いまま。食事は、おかゆみたいなものばかりで、力が出ない……。それなのに、仕事はどんどん入ってくる。テレビでも、イベントでも、本番ギリギリまでぐったりしているのが常になり、12年4月、ついに手術を決意したんです。

「なんでこんなになるまで放っておいたんですか!」と医師に言われるくらい胆のうは腫れあがって、周囲の臓器と癒着していたようです。それでも腹腔鏡手術で無事に摘出が完了し、たった2日間で退院。「さぁ、これでもう元気になれる」と期待しますよね? でも、精神的にはそこから先が一番つらかった。

 手術したのに1年経っても体調が良くならないんです。日が経つにつれ「別の病気があるんじゃないか」と不安になりました。結膜炎や逆流性食道炎にもなり、「もう、一生こんな体なのか?」と怖かった。外出先では常にドラッグストアを探しては胃薬を見る……という生活が続きました。

 ようやく体調が上向きになってきたのは13年ごろからで、本当に元気になったのは14年に入ってからです。

 思えば、最初の発作の1年ほど前から予兆はありました。首や肩に寝違えたようなコリを感じていましたし、心臓が痛くて病院を受診したこともあるんです。「ストレスですね」と片づけられたのですが、胆のうがむくんでいたことが原因だったかもしれません。

 病気から学んだことは“ネガティブな人の気持ち”です。それを一番感じたのは、書道教室に長年通ってくれている3人連れの生徒さんに「私たち、体だけは健康なんです」と言われたときでした。自分が元気なときはネガティブな人たちだと思っていたのに、そのときばかりは彼女たちがまぶしすぎた(笑い)。

 病後は、食生活が変わりました。油もちゃんと取ろうと思ってオーガニックにハマったんです。それがきっかけで、オーガニックカフェや味噌汁専門店を立ち上げましたし、カリフォルニアにあるオーガニックが当たり前の街を知りました。今、真剣に移住を考えています。

 さらに、「本当の健康とは何か」を研究するのが趣味になりました。「自律神経が整うとはどういうことか」から「食事」「習慣」「思考」まで興味は尽きません。完全に運動不足だったボクが専門家に歩き方を教わって、1日2時間ぐらい歩くようになったのも病気のおかげです。いろんなことが変わりました。今の願いは世界中を健康にすることです(笑い)。 

(聞き手・松永詠美子)

▽武田双雲(たけだ・そううん) 1975年、熊本県生まれ。書家の母に師事し、3歳から書道を始める。大学卒業後、サラリーマンを経て書道家として独立。音楽家や彫刻家とのコラボレーションなど、独自の創作活動で注目を集める。書道を通して世界的に活躍する一方で、著書も多数。近年はオーガニックカフェ「CHIKYU」や味噌汁専門店「MISOJYU」をプロデュースするなど幅広い才能を発揮している。

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