患者が語る 糖尿病と一生付き合う法

命に関わる低血糖を簡単に早期発見できる意外な方法が

文意が読み取りにくいと感じたら…
文意が読み取りにくいと感じたら…(C)日刊ゲンダイ

 今回は、妻による夕食の準備中、インスリンを打ってから30分後に食事が始まるまでの間、僕がどうしていたかという話の続きである。

 妻から見える食卓にいることにしたのはもちろん、そこで何をするかも問題だった。試行錯誤の中でひとつ分かったのは、受動的な活動は避けたほうがいいということだ。

 たとえば読書。文意が読み取りにくいと感じたら、それはほぼ低血糖に陥っている証拠なのだが、頭が正常に働いていても読み取りにくい文章、というものもある。事実、野坂昭如の小説を読んでいて、「なんて読みづらい文章なんだろう」と思っていたところ、実は低血糖になっていたというケースもあった。

 でも野坂が悪文なのはそれはそれで事実なので、文章を読み取りにくいかどうかを判断基準にするのは難しい。それに、「読む」という行為は受動的だ。時には自分が文意を読み取れていないことに気づいてすらいない場合がある。

 その点、小説なりなんなりの原稿を書くという活動なら、十分に能動的である。文章がうまく組み立てられない時点で、自分がおかしくなっていることにいや応なく気づく。

 しかしそれにも、「たまたま調子が出ていないだけなのかな」と疑う余地が残される。

 僕は日頃、原稿を書く時に迷いはほとんど生じない。迷いが生じるとしたら、脳が正常に機能していないのだと見なすべきなのに、現に低血糖になっていると、その認識すら揺らいでしまう。それに、書くべき原稿が常にあるとも限らない。

 いろいろ試してみて、最終的には「語学の勉強」に落ち着いた。僕は言語オタクで、ここ数年は趣味でオランダ語を勉強している。CDを聴いて課題文を書き取り、テキストを見て自ら添削する。それがうまくできない時はおかしい、と自己判断する。これが最も間違いがなかった。

「超速効型」インスリンを使用している現在は、そんな苦労からも解放されている。

平山瑞穂

平山瑞穂

1968年、東京生まれ。立教大学社会学部卒業。2004年「ラス・マンチャス通信」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞。糖尿病体験に基づく小説では「シュガーな俺」(06年)がある。

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