この正月は、まさに嚥下(えんげ)障害との激闘の期間だった。左頚部の腫れで飲み物が取れなくなってしまった。気管に入り、猛烈にむせる。食べ物を取れなくなり、従って栄養を全く取れなくなったのだ。
体重は1日1キロずつ減少する。体力温存のため、ジムも当分休むことにした。それでも体力はあり、暮れの27日には打ち合わせや挨拶に回った。しかし、家族そろっての大晦日の年越し酒や元日のおとそは、なめるだけで終わってしまった。
脱水状態は進む。さすがに限界かな、と元日に地元の民間病院の救急外来で500㏄の点滴を打ってもらった。翌日と翌々日は1000㏄。年明け4日からは、昨年がんの宣告を受けた地元の大学病院で点滴を続けたのだが、ここでまさに“バトル”が始まる。
「あなたは一切の治療を受けないと言ったでしょ。治療をする時期はもう過ぎた」
手遅れだと担当医師は言い、点滴を渋る。ほかの病院への紹介状も書き渋る。そして「間もなく気道も塞がる。呼吸ができなくなる。息ができないのは本当に苦しいですよ」と言う。
悪気はないのだろうが、これが医師なのだ。何ひとつ、励ましやら、希望の言葉は出なかった。看護師長は「治療を受けなかったことを後悔していませんか?」。ある看護師は、平然とこう言う。
「食べられなくて本当にかわいそうだわね」
闘う相手は、相変わらず医療関係者だった。しかし、私の体は元気だ。年が明けて3週間、机に向かい仕事もできている。血液検査の結果も良好だ。わずかながら、水分が喉を通るようになってきた。体重も増加。咳き込み方や唾液の量は格段に少なくなった。
私は、現代の医学を否定しているのではない。今のがん治療に疑問を呈しているのだ。医師の患者に向き合う姿勢に疑問を呈しているのだ。
私は自己の免疫を高める力を信じ、生活を送っているが、内容は次回に譲る。私のがん克服プログラムは、新たなシーンを迎えた。