独白 愉快な“病人”たち

今も肺がん治療中 フットサル久光重貴さん語る壮絶闘病

久光重貴さん
久光重貴さん(C)日刊ゲンダイ

「肺線がん」と告知されてから、5年8カ月が経ちました。当初のステージはⅢb。すでにリンパ節にも転移し、手術や放射線治療はできない状態でした。余命については命を限定するみたいで嫌だったので聞きませんでしたが、今日という日を迎えられるとは思っていませんでした。医師も驚いています。

 がんが見つかったのは、2013年5月。Fリーグ開幕前のメディカルチェックの時でした。「右の肺の上のほうに影がある」と言われて再検査を繰り返すうち、だんだん「これは大変な病気なんじゃないか」と不安になっていきました。といっても、自覚症状はほとんどなく、練習やゲームの時に「ちょっと息切れするな」と感じるぐらい。それも、31歳という年齢のせいだと思っていました。

 だから、母親と2人で医師から告知を受けた時は驚きました。でも、隣で涙を流している母親の手前、自分がうろたえるわけにはいきません。がんについての知識もあまりなく、ステージを言われてもよく分からないから、先生に「練習にはいつ戻れるのですか」と聞いたほどです。すると、「フットサルがやりたいんですか。生きたいんですか」と言われ、フットサルどころじゃない。生きられるかどうかなんだと気づかされました。

 病院で「イレッサという抗がん剤(分子標的薬)を使って治療を行う」と言われたので、家に帰ってネットで調べてみたら、副作用や死亡例など悪い話ばかりが出てきました。それでどんどん怖くなってしまい、それから3日間は眠れず、食欲も落ち、ろくに食べることもできませんでした。 がんについて相談したり助言をもらえるような知人も周囲にはいませんでしたし、実家で悲しむ母親を見ているのもつらかったので、1人暮らしの部屋で安静にしていました。すると、いろんな思いが湧き起こるんです。毎年メディカルチェックも受けてきたのに……とか。自分のがんは骨の後ろにあって、がんが小さい間は見つけられなかったそうです。でも、「じゃあ仕方がないか」なんて思えませんよね。

 命について、人生について、苦しみながら真剣に考えました。

 それが、自分のそれからの生き方を変えたと思います。振り返ると、この頃が一番つらかった。乗り越えられたのは、自分は1人じゃないと気づいたから。家族や一緒に治療に取り組んでくれている医療関係者はもちろんですが、チームをはじめ多くの方が応援してくれました。7月8日の誕生日の翌日に入院し、治療を始めると同時に、チームのサイトで病気を公表してもらったんですけど、友人、知人、見知らぬ海外の方まで応援メッセージを寄せてくれました。その日、自分の携帯の通知音は鳴りやまなかったほどです。治療と向き合うための勇気をもらい、応援が力になることを実感しました。

■自分がひとつの症例になれれば

 6人部屋に入院したのもよかったです。病院からは個室での治療を提案してもらったのですが、大部屋にしてもらって同室の方たちからいろいろな情報をもらえました。がん治療は日々進歩しています。ネットの情報でさえ過去のもので、今まさに治療を受けている患者や医師は、さらに新しい治療を試みたりしています。

 例えば、抗がん剤(分子標的薬)治療の副作用もそうです。自分も、とても怖かったのですが、今は副作用に対する治療も進んでいるんです。自分の最初の治療は、1日1回イレッサを服用して様子を見るというものでしたが、発疹が出たら医師がちゃんと対処してくれて、恐れていたほどではありませんでした。1週間で退院して通院治療に切り替え、この時は、がんを半分以下にまで小さくすることができました。年をまたいで、シーズン終了の2月には、ピッチに立つこともできたんですよ。

 その後は月1回、病院で検査を受け、がんが大きくなったりしていると入院して治療を切り替え……ということを繰り返してきました。

■自分がひとつの症例になって次につながればいい

 治験にも参加しました。発疹のほかに吐き気、下痢、むくみ、眉やわきなど体中の毛が全部抜けるといった副作用が出たこともありました。体力が奪われ、筋力も衰え、体重が10キロ落ちて寝たきり状態になったりもしました。それでも、自分より体力のない高齢の方や子供たちも治療しているが必死で耐えている姿を見たりすると、自分が頑張らないわけにはいかなかったですね。

 今は「タグリッソ」という抗がん剤(分子標的薬)を1日1回飲んでいます。体調は安定していてとてもいい。ここ1年は治療のためにチームを離れることもなく、練習ではみんなと同じメニューをこなし、長い時間ではないもののゲームでピッチにも立っています。 がん治療をしながら、アスリートとしてどれぐらいやれるか、トレーニングをしていいかということは、医師に聞いても前例がほとんどないから分からない。だから、自分自身が自分の体に聞きながらやっています。むしろ、自分がひとつの症例になって、次につながればいいと思っています。

 去年の10月には結婚もしました。がんになってから出会った人です。彼女と彼女のご両親には感謝しかありません。子供もあきらめていませんよ。病気があってもなくても、子供を授かるかどうかは分かりません。自分たち夫婦も同じだと思っています。 

(聞き手=中野裕子)

▽ひさみつ・しげたか 1981年、神奈川県生まれ。小学校1年でサッカーを始め、ヴェルディ川崎ジュニアユース、帝京高校サッカー部を経てフットサル選手に。2008年「湘南ベルマーレ」に移籍し、翌年日本代表に選出された。15年、フットサルクラブ「デウソン神戸」の鈴村拓也監督とともに一般社団法人「Ring Smile」を立ち上げ、フットサルを通じたがん検診の啓発と小児がん患者支援のための活動(フットサルリボン活動)を行っている。また、肺がん医療向上委員会広報大使に就任し、肺がん啓発活動に取り組んでいる。

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