独白 愉快な“病人”たち

こういう風に死ぬんだな…佐藤尚之さんが語る劇症型アレルギー

佐藤尚之さん
佐藤尚之さん(C)日刊ゲンダイ

 深夜に吐き気で目覚めました。2~3回吐いて「なんか当たったかな」と思ってふと鏡を見ると、顔が真っ赤になっていました。気づくと体中がかゆくて、全身にじんましんらしきものが……。そのうちに息苦しく呼吸音がヒューヒュー鳴るようになってきたので「これはちょっとやばいな」と思い、妻を起こしました。

 妻はボクの顔を見るなり救急病院を調べて電話をしてくれたんです。自分ではそんな大ごとじゃないと思っていたのですが、後で聞くと「危なかった」とのこと。妻がいて助かりました。それが昨年3月23日の深夜、友人5人と外食してから帰宅した後のことです。

 結論からいうと「アナフィラキシーショック」でした。アレルギー反応の最も劇症なやつで、例えていうなら「“恐怖の大魔王がやってきた!”と勘違いして逆上した細胞が、よく確かめもせずに爆弾を撃ってしまった」という感じ。しかも、それを成功体験として細胞が記憶してしまうため、同じ物が体に入れば次は躊躇なく総攻撃を仕掛ける。だから2度目はさらに危険で、20分で死に至った例もあるそうです。

 妻が電話してくれた病院へタクシーで着いた頃には意識がふわふわしてボーッとしていました。血圧が異常に低く、すぐに救命病棟に運ばれたのです。大勢の医師に取り囲まれて初めて「これはもしかして大ごとなのか?」と思っていると、左右の太ももにバンッバンッと注射を打ちこまれました。ボーッとした頭で「こういうふうにして死ぬんだな」と考えたのを覚えています。

 ショック症状自体は、アドレナリンを注射することで急激に楽になり、呼吸も正常になりました。体のかゆみもなくなって、2日後には退院したのですが、問題は「何がショックを引き起こしたアレルゲンだったか?」ということです。

■“海の物”はほぼ食べられなくなった

 それがなんと「アニサキス」(魚介類に寄生する寄生虫)だったんです。魚好きのボクにとって、それだけはあってほしくない現実でした。もちろんそれまでアレルギーはゼロ。花粉症ですらありませんでした。グルメ本もたくさん書いているほど食は生活の中心でしたし、特に魚が好きで浴びるほど食べてきたので、魚類がアレルゲンであるはずはないと思っていました。ただ、あの夜一緒に食事をした5人のうち2人がアニサキス症(アニサキスの幼虫が胃壁に食いつき腹痛が起こる感染症)になったと知り、IgE抗体検査(アレルゲンを調べる血液検査)の際に念のためにアニサキスをリストに入れたんです。すると、見事にアニサキスだけに激しく反応した数値が出ました。「ウソだろ?」と思い、友人知人のつてを頼って、より確実性の高い抗体反応テストを受けたのですが、結果は覆りませんでした。

 というわけで、ボクは海の物はほぼ食べられなくなりました。以来、アニサキスアレルギーについて調べまくりました。でも、調べれば調べるほど、食べられるものが制限される現実を突き付けられたのです。しかも、アニサキスアレルギーについての資料や文献、研究者が非常に少ないことも知りました。

 アニサキスはほとんどの魚に寄生しています。生魚はもちろん、焼いても煮ても揚げても干してもダメ。要はアニサキスの持つタンパク質がダメなので、死骸や分泌物もNGです。缶詰や練り物もアウト。オキアミを使ったキムチや、魚介系のソースやダシも同様です。さらに、レバーやフォアグラといった肉の内臓にもアニサキスがいる可能性があるといわれています。もしかしたら食べられるかもしれませんが、文字通り「命懸け」になるので……(笑い)。

 海の物で大丈夫なのは今のところ貝類。それから海藻類はOKです。

 初めのうちは「負けるもんか」と意気込んで調べることに没頭したのですが、去年の9月になって突然うつ状態になりました。秋冬は魚がおいしい時季。どこの街でもレストランの位置で地図を構成しているボクは、街に出るのがつらくなってしまったんです。もう食べられない魚料理を思い、激しく人生を悲観しました。

 でも、11月末から20年ぶりに車の運転やスポーツを復活させ、行動パターンを変えました。そして12月末、身近な人の死がきっかけになり、「成功体験は脱ぎ捨てる」という持論を思い出したんです。何千万円もつぎ込んだ食の経験値を「過去のもの」とするのは惜しいですが、なくしたものを思って自分を哀れむのは最悪です。そう考えられるようになったら、楽になりました。

 アナフィラキシーショックは誰でもなります。アレルギー体質でなくても、体が弱っているときなどは、特に生魚には気を付けてください。

 (聞き手=松永詠美子)

▽さとう・なおゆき 1961年、東京都生まれ。大学卒業後に大手広告代理店へ入社し、コピーライター、CMプランナーとして活躍。2011年、東日本大震災を経験して独立し、㈱ツナグを設立。一般社団法人「助けあいジャパン」代表、復興庁復興推進参与、大阪芸術大学客員教授なども務める。執筆も多く、最新刊にマーケティングの考え方を説いた「ファンベース」(ちくま新書)がある。

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