低血糖による意識障害や昏倒のリスクを、現在は最小限まで抑えることが可能になっている。そんな今だからこうして堂々と書けるのだが、渦中にあった頃、妻には本当に迷惑をかけたと反省している。
僕が「異常な言動」を示したとき、口から泡を吹いて意識を喪失したとき、救急車で搬送されたとき、そばにいて対処してくれていたのは、常に妻だ。彼女はその都度、一歩間違えば僕がそのまま帰らぬ人となってしまうかもしれないという恐怖と闘ってきたのだ。
当時、妻から口を酸っぱくして注意されていたのは、「低血糖ではないか」と指摘されたとき、抵抗しないでほしいということだった。
そういうとき、僕はしばしば、「これは低血糖じゃない」とムキになって否定し、ゼリー飲料などを食べさせようとしても、「必要ない」と拒んだりしていたようだ。自分でもあらかた覚えているし、そのときの心理も思い返すことができる。あえて言語化すれば、それはこういうことだ。
低血糖で、それまでにもちょくちょく彼女の厄介になっており、そうならないようにこれからは気をつけると約束していた手前、結果としてまた意識障害を起こしてしまったとあれば、申し開きが立たない。認めたくないのである。
言うまでもなく、そのとき問題なのは僕の面目などではない。放置すれば最悪、命の保証すらないのだから、とにかく一も二もなく補食すべきなのだ。しかし当の僕は、意識障害を起こしている。今、一番大事なのは何か、それすらわからなくなっている。
言われるまま補食したとしても、「もう十分なはず」と途中でやめてしまうこともあった。それにも一応の理由はある。低血糖に対処しようとして補食すると、反動でその後、極端な高血糖に転じてしまうことがよくある。僕はたぶん、それを警戒していたのだ。
意識障害下の僕は、そのように半端に小ざかしいのがまた手に負えなかったらしい。
患者が語る 糖尿病と一生付き合う法