「がん家系」に生まれて

母方の家系が次々がんに…いつか自分もと覚悟をしていた

モデル・美肌温泉家の朝香さん
モデル・美肌温泉家の朝香さん(C)日刊ゲンダイ

 大腸がんが判明したのは、2014年12月、40歳の時です。大腸内視鏡検査を受けている私からちょうど見える位置に、カメラのモニターがありました。何げに見ていたのですが、“それ”が写った瞬間に「これはもう、がんですよね」と、はっきり分かりました。よく食べ物が通っていたな、と不思議に思うほど、大腸が狭くなっていたんです。余命数カ月かな、という思いが頭をよぎり、急に現実を突き付けられたような気持ちになりました。

 もともと子供の頃から、私もがんになるのだろう、という予想があったんです。母方の家系の多くが、がんで亡くなっていますから……。母に子宮体がんが見つかったのは、確か私が中学2年生の時。母は40代でした。そのちょっと前に伯父が胃がんで亡くなっており、祖父もその後に胃がんと直腸がんで亡くなった。そして叔父も食道がん。祖父の葬儀には、母はがんの治療で入院していて出られなかった記憶があります。

 当時はまだ、がんを本人に告知しない時代。遺伝子検査はなく、がんを遺伝と結びつけて考えることも、一般的にはありませんでした。だけど、あまりに立て続けに身内ががんにかかっていますから、私の中に何かがおかしい、という気持ちがあったんです。

 母は子宮体がんで子宮と卵巣を全摘し、50代後半に胃がんと大腸がんが見つかった。そして、その後に膵臓がんです。膵臓がんの手術を受けたのですが、1年も経たないうちに亡くなりました。

「手術でがんを取ったから大丈夫」という認識でしたが、たまたま実家に帰った時、すごくむくんでいた。両親は北海道、私は東京に住んでいたので、母に会うのは半年ぶり。一目で「あれ?」と思うほどでした。その後、母が末期の膵臓がんだと父から打ち明けられたのですが、それを聞いてやっぱり、と思いました。母が亡くなる4カ月ほど前のことです。

 前の胃がん手術で胃を3分の2取っている母は食事が思うように取れないこともあり、まさに骨と皮だけ。でも、腹水で顔や足がパンパンにむくんでいる。亡くなるまで、痛さとの格闘もすごかった。怖がりな母には末期がんと告知していませんでした。だからホスピスにも入っていません。最後の方は、私は父と交代で夜、病院に泊まり込み、母の介護をしていました。母の苦しみを見ているのが本当につらかった。できれば代わってあげたかった。2008年11月に、母は61歳で亡くなるのですが、その時には「私もがんになるな」と確信しており、覚悟のようなものも芽生えていました。がんになるのなら、後悔のない人生を普段から送るようにしよう、と。ただ、母をずっと見ていたので、「痛いのだけは嫌だな」と考えていました。

▽1974年8月生まれ。44歳。北海道出身。モデルとしてCMなどに多数出演。現在は温泉観光実践士協会理事、温泉ソムリエアンバサダーも務める。

関連記事