がんと向き合い生きていく

「ひとは生きてきたように死んでいく」──本当だろうか?

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 先月、若い優秀な同僚の医師が亡くなりました。39歳、急性白血病でした。若い人の死は壮絶で、そしてとりわけ悲しい……。

 2カ月前に彼とやりとりしたメールが最後でした。

「さまざまな合併症が起こり得ることを伝えられ、不安は尽きませんがここまで来たからには頑張るしかありません。まずは治療が順調にゆき、一日も早く日常生活に戻れたらと思います。ご迷惑、ご心配をおかけして誠に申し訳ございませんが、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます」

 彼自身の無念さ、奥さんやご家族の思いはいかばかりか。患者さんのために一生懸命に頑張ってきた彼が……。こんな時、「神様はいるのか?」「神様なんていない!」と思うのです。

 元駒沢大学総長の水野弘元氏は、書籍「死の準備と死後の世界」で次のように書いています。

「毎日を規則正しく送り、食事、仕事、運動、休息、睡眠などを過不足なくし、これを正しく続けることによって、健康を害して病気になることも無く、仕事の能率も上がって経済的にも不自由がなく、家族の生活も安定する。さらに周囲の社会に対しても、精神的、物質的な奉仕ができるように努力を続けるならば、死に際しても周囲に迷惑をかけることなく、安らかに世を去ることができるであろう。ある仕事を持っているひとは、今生で成し遂げられなかったことは、せめて来世でもこれを続け、さらに進歩発展させたいとの希望をもち、満足して死を迎えることができるであろう」

 長くホスピスケアをされた柏木哲夫さんは著書「『死にざま』こそ人生」の中でこう書かれています。

「ひとは生きてきたように死んでいく。しっかり生きてきた人はしっかり死んでいく。周りに不平を言いながら生きてきた人は私たちスタッフに不平を言いながら亡くなっていく。感謝しながら生きてきた人は感謝しながら、ベタベタ生きてきた人はベタベタと死んでいく。これまでの生きざまが死にみごとに反映する。よき死を死すためには、よき生を生きねばならない」

 水野さんも柏木さんも宗教を信じておられると思うのですが、書かれたようなことを本当に心から思っておられるのでしょうか?

 私は、真面目に、人生のお手本のように生きてきた方が安らかに死ぬとは限らないように思うのです。たくさんの死に会ってきて、「ひとは生きてきたように死んでいく」とはとても思えないのです。

 たとえ、感謝して亡くなったとしても“よき死”なんてあるのでしょうか。災害や殺人の場合は別にして“悪しき死”というものがあるのだろうか?

■同じ病気なのに亡くなる人もいれば完治する人もいる

 がんの治療では、思わぬ効果があったり、思わぬ悪い結果が出たりします。約35年前、抗がん剤のシスプラチンが発売される前の年だったと思うのですが、胚細胞腫瘍の肺転移で2カ月入院していた2人の大学生が亡くなりました。そして、その翌年にシスプラチンが使えるようになり、同じ病気の若い患者は見事に「完全に治った」のです。

 近年、話題になっている免疫チェックポイント阻害剤も同じです。もう末期で、誰がみてもダメだろうと思われる患者が、一発逆転、見事に蘇る場合もあるのです。

 私が相談を受けた患者でも、それが1人2人だけではありません。真剣に「自分のお墓をどうしよう」と話されていた患者が、がんから解放され、生きる気力に満ちて再び仕事に取り組めているのです。

 この薬が市販されていない2、3年前にこの病気になったら、間違いなく亡くなっていました。いったい、この差はなんなのでしょう? 本当に人は先のことは分からない。運命なのでしょうか。神業なのでしょうか。

 医学の発達は科学ですが、科学では分からない人生、人生の神秘がそこにあるということなのだろうか? 答えは見つかりません。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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