天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

妊娠を希望する女性患者は弁を交換する再手術が必要だった

順天堂大学医学部付属順天堂医院の天野篤院長
順天堂大学医学部付属順天堂医院の天野篤院長(C)日刊ゲンダイ

 妊婦がリスクの高い心臓疾患を抱えている場合、病状によっては妊娠の継続をあきらめてもらわなければいけないケースがあることを前回お伝えしました。ですから、心臓疾患のある女性が妊娠・出産を希望されるときは、前もって慎重に計画する必要があります。

 まずは心臓の症状をきちんとコントロールしてから妊娠・出産に臨むのが一般的で、心臓病患者の妊娠に精通している産科医や循環器専門医による管理が欠かせません。

 リスクはさまざまありますが、中でも大きな問題になってくるのが、さまざまな心臓疾患の治療によく使われている抗凝固薬「ワーファリン」です。血液をサラサラにする効果があり、血栓ができるのを防ぎます。心房細動によって起こりやすくなる脳梗塞や心筋梗塞の予防、心臓弁膜症で機械弁を入れる人工弁置換術を受けた患者さんなどに使われます。

 ただし、ワーファリンは、妊婦、産婦、授乳婦、妊娠の可能性がある女性への投与が禁忌とされています。「催奇形性」と呼ばれる作用があるからです。

 薬の成分が胎盤を通過して胎児に影響を及ぼし、臓器の形成不全や神経系の異常を招く危険があるのです。

 基本的にワーファリンはずっと飲み続けなければならない薬です。しかし、妊娠・出産期間中は服用できません。ですから、とりわけ胎児の器官が形成される妊娠6~16週の期間は催奇形性のない薬に切り替え、入院して点滴で投与しながら管理出産しなければなりません。

 また、抗凝固薬は出血しやすくなるため、分娩時に母体が異常出血を起こすリスクも高くなります。母子ともに特別な環境下での厳密な管理が必要になるのです。


 先日、こうしたリスクを考慮したうえで妊娠・出産を希望している36歳の女性の再手術を行いました。彼女は重症の心臓病(僧帽弁閉鎖不全症と心房中隔欠損症の合併)で3歳のときに最初の手術を受け、人工弁置換術で機械弁を入れていました。

 機械弁は耐久性が高く頑丈なので、よほどのトラブルが起こらない限り弁を再交換するケースは、ほぼありません。ただ、弁の周辺に血栓ができやすいため、術後はワーファリンなどの抗凝固薬を飲み続けなければならない短所があります。その点から、彼女が望んでいる妊娠・出産を考えると特別な環境下での厳密な管理が必要になってきます。

■生体弁であればワーファリンを飲み続ける必要はない

 そこで、機械弁から生体弁に交換する弁置換術を再び行うことにしたのです。生体弁はブタやウシの弁などを人間に使えるように処理したもので、自身の弁に近く血栓ができにくい特徴があります。ただ、耐久性が低く、35歳前後の患者さんでは10~15年くらいで劣化して、硬くなったり穴が開いたりすることが予想されます。そうなると、弁を交換する3度目の手術をしなければなりません。

 機械弁のままであれば、再手術する必要はありませんし、問題なく日常生活を送れます。それでも、子供が欲しいからと生体弁への交換を希望されたのです。

 通常、正常に機能している人工弁を外して新たな弁に交換するという手術は絶対に行いません。しかし、「入院して抗凝固薬の点滴を受けるなど管理出産の実施が難しい」「抗凝固薬を服用しているのに過去に脳梗塞や弁のトラブルを起こしたことがある」といった患者さんは、妊娠・出産のために薬を切り替えることが困難です。そういった事情があるときに「弁を交換する」という選択肢が出てきます。彼女の場合もそうでした。

 今後、心臓疾患を抱えながら妊娠・出産を望む女性は増えるでしょう。ただ、いまの心臓治療の「EBM」(エビデンス・ベースド・メディスン=科学的根拠に基づいた医療)が、そうした患者さんの希望に完全に合致しているかというと疑問があります。「妊娠・出産のためだけに心臓病を治す」というパターンは、これまでの単独の心臓疾患に対するエビデンスとは異なっているのです。個人の希望を尊重する医療という観点から考えると、EBMを少し見直さなければならないかもしれません。

 産科医、循環器内科医、心臓外科医といったそれぞれの専門医の意見を集約して、バランスの取れた総合的な指針を作っていく必要があるのではないかと考えています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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