独白 愉快な“病人”たち

小学生時代からの「凝り」が突然…岩佐まりさん難病を語る

岩佐まりさん
岩佐まりさん(C)日刊ゲンダイ

「もしかすると難しい病気かもしれません」

 1年前、医師からそう告げられました。最近の検診で「炎症が強くなっています」と言われ、病状が進行していることがわかりました。

「強直性脊椎炎」は、原因不明のリウマチ性疾患で、難病指定されている病気です。進行すると頚椎や脊椎が硬直して日常生活に支障を来すようです。原因がわかっていないので治療法もなく、痛みがひどくなったら痛み止めの注射を打つことぐらい。まだそこまでではありませんが、今は強い筋肉痛のような痛みが背中全体にあります。「今は」というのは、この病気は痛みの場所が半年~1年単位で変わるからです。これまで腰のときもあれば、肩のときもあって、今は背骨という具合です。

 さかのぼってみると、小学生の頃から肩凝りや腰痛を感じて悩んでいました。その凝りが、あるとき変化したんです。「手足に力が入らない」という感覚です。しびれるような状態だったり、ずっと座っているのがしんどかったり……。それがどうにもひどくなり、近所の整形外科を受診したのが5~6年前のことです。

 レントゲンでは何もわかりませんでした。近所にある整形外科を転々と5件ほど受診しましたが、「運動不足」と言われたり、「姿勢が悪い」と言われたり、「背骨が少し側彎している影響だろう」と言われたりしました。

 ガマンできない痛みではなかったので、半ばあきらめてそのまま過ごしていたのですが、ついに1年前、動けないほどの痛みになり、近所で唯一受診していない病院へ行ってみたんです。偶然にも、その日は脊椎の専門医がいた特別な日でした。レントゲンと血液検査をすると「可能性」として告げられたのが強直性脊椎炎だったのです。

 インターネットで検索してみると「脊椎が固まる・日常生活に支障を来す」と怖いことが書いてあるので、それを医師に確かめると「それほど怖いものではありません。人によって進行度が違うし、すぐに日常生活に支障を来すものではない」とのことでした。

 薬や治療法はないとのことですが、普段からできることとして「上半身を動かすこと」とテニスや水泳を勧められました。

 でも私、中学からバドミントン部で、社会人になっても時々やっていたんです。ほかの人よりは上半身を動かしてきたつもりなので、テニスで進行が抑えられるかは疑問ですよね(笑い)。

 母の認知症介護のイベントがきっかけで、3年前から趣味としてマラソンもしています。ただ、最近は骨に響いて、疲労感も強くなった気がします。

 ずっと重いリュックを背負っているような感覚で、背骨の動きが悪くなっている自覚があるんです。ごく最近になって手足の関節痛も出てきました。「一生、この痛みと闘っていくのかな」と考えるとやはりとても不安です。「将来どうなるのか」「体が動かなくなったら誰が母の介護をしてくれるのか」と思いは巡ります。

■母親の“背中”が今の私を支えてくれている

 難病と診断された帰り道は一番落ち込みました。「どうして私が?」「このタイミングでなんで?」と……。認知症の母との介護生活は決して楽ではありません。自分が望んで始めたこととはいえ、追い打ちをかけるように自分が難病になってしまうなんて……。

 でも、そのとき15年前の母を思い出したんです。若年性認知症と診断されて病院を出た途端、それまで冷静だった母が子どものようにわんわん泣き出した姿を。

 私は母を励まし続けました。そして母も苦しみの中から立ち直って、今まで一緒に歩いてきたのです。

 それを振り返ると、「今ここで落ち込んでいたらダメだ。私も母のように立ち直らなければいけない」と思えたんです。

 母がこの15年間、ちゃんと背中を見せてくれていたんですね。その母の背中が、今の私を支えています。

 自分が病気になって学んだことは、「無理をしない」ということ。それまでは頑張って無理をしていました。重い物も持つ、駅までは歩く、料理もちゃんと作る、できる限り自分でやることを自分に強いていました。でも、最近は重い物を極力持たない、駅までタクシーもよし、市販のお総菜でもよしと、自分に優しくなりました。

 自分がこの病気になったことには何か使命があると思っています。母が若くして認知症になったのも絶対に何か意味があると思ってきましたし、その介護生活を公表したことで、同じように介護をされている多くの方々の共感を得られたことを考えても、病気を伝える使命が私にはあるんだろうと思います。まだ、自分の病気についての講演依頼は一度もないんですけどね(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽いわさ・まり 1983年、大阪府生まれ。芸能事務所のオーディションに合格して上京。女優、タレントとしてテレビ出演をしていたが、2011年にフリーアナウンサーに転向。アナウンサーのほか司会、リポーターとして活躍している。29歳のときに認知症の母親との2人暮らしを決断。介護と仕事の両立を献身的に行っている。その経験からくる講演活動も数多く、著書に「若年性アルツハイマーの母と生きる」(KADOKAWA)がある。

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