がんと向き合い生きていく

緩和病棟に入院する患者は「経緯」も「思い」もそれぞれ違う

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 緩和ケアは、日常生活上支障となる身体的、精神的な苦痛を早期から軽減し、患者・家族の快適な療養を実現するために、がんと診断された時から切れ目なく提供されることが重要と考えられています。緩和病棟(ホスピス)はそのための入院施設ですが、診療報酬包括制度(検査、治療などにかかわらず1日の入院費用は同じ)の事情もあり、多くの緩和病棟では「苦痛を除くところで、がんの治療を行うところではない」とうたっています。

 患者はがんの苦痛を軽減する目的で、中には看取ってもらうために緩和病棟に入院されます。

 以前、ある病院の緩和病棟に入院している患者が、私のところに「何か治療法はないか?」とセカンドオピニオンとして来られたことがありました。私はもちろん相談された治療法について答えます。しかしその時は、緩和病棟の担当医から電話がきて、「治療法がなければ『ない』とはっきり言ってほしい」と言われました。これから新しい治療法が登場するかもしれないといった曖昧な答えはしないでほしいという意味だったと思います。治療法がなくなった患者の心は揺れ動きます。わずかでも希望を見いだしたいのは当然です。それをあらわにされる方、まったく諦めているように見える方、さまざまです。

■自分なら医療者から「死」についての話題は出してほしくない

 ある緩和病棟に入った終末期と思われる患者が、スタッフから「死の覚悟を求められた」ということがありました。どのような経緯で、どんなことを考えて緩和病棟に入院したか、患者の思いはそれぞれ違います。

 この緩和病棟では、スタッフは安寧な死を迎えるために、しっかり「死の受容」をしていてほしいと思っているのかもしれません。しかし、医療者から「死の覚悟を求められる」というのは、どうも違うと思うのです。

 もし、私が緩和病棟に入ることになった場合は、その時になって違ってくるかも知れませんが、できれば淡々と過ごしたい。医療者から「死」についての話題はあまり出してほしくないと今は考えています。

 宗教学者の山折哲雄氏は「死を見つめて生きる」(ビジネス社)の中でこう述べています。

「仏教用語にも『以心伝心』という言葉があります。それで、お互いに相手の心の動きをキャッチしている。ですから患者の方も、言葉では表現しなくとも……目でそれとなく告げていることがある。看取るほうの『あなたは、もう駄目かもしれない』という思いも、相手に通じる。何も言わなくとも、実質的に告知し告知されているような関係が最期を迎えるという場面で出来上がっている。……日本人には馴染みやすいのではないでしょうか。私自身は、そのほうがありがたい。そこまで考えてくれる医師が、たくさん出てきてほしいと思っているんです」

 私は山折さんに賛成です。

 ある緩和病棟の看護師から聞いた話です。胃がん・がん性腹膜炎だった88歳の女性が、意識がもうろうとした状態で緩和病棟に入院された時、血圧は下がり、ご臨終が近い状態と判断されました。

 緩和病棟の担当医は、患者の耳元で「あなたは死ぬんですよ! 私も後から行きますからね」と大声で言ったそうです。

 優しい担当医だと思うのですが、この話を聞いて私は「え! そんなこと言わなくても……」と思いました。患者はもう聞こえていない状態だった可能性もありますが、もしかして、死後の世界は病気がなく、お花畑の中で楽しく暮らす世界を想像しているかもしれません。病気のない世界、それなら医師なんて要らない。担当医に後から追いかけて来られても困るのです。

 患者はひとりひとり考えが違います。緩和病棟では、できるだけ患者の思いに添っていただけるようにお願いしたいと思います。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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