これで認知症介護は怖くない

症状が進んでも人間の感情的な部分はちっとも変わらない

症状は重くても感情的な部分は変わらない
症状は重くても感情的な部分は変わらない(提供写真)

「本人に聞けって? 認知症になった人にどうやって聞けばいいの?」

 そんな質問が聞こえてきそうだ。前回では全国の認知症の人から話を聞いたと書いたが、その中には記憶が5分も維持できない重度の方もいた。もちろん発語も容易ではない。でもじっと話を聞き、受け止め、きちんと答えると、相手も少しずつだが語ってくれた(丸1日かかったが)。

 こうして分かったことは、軽度から重度になるにつれて症状は重くなるが、悲しい、うれしい、寂しいといった人間の感情的な部分はちっとも変わらないことだった。つまり、症状が進んで、顔の筋肉を自由に動かせなくなって表情がないように見えても、内側に豊かな感情を持っているということだ。問題は、それをどうやって引き出せるかである。それには少しばかりテクニックも必要になってくる。

 例えば、私たちの視界は180度ほどあるが、症状が進むと狭くなる人がいる。そういう人に、視界の外からいきなり声を掛けると、本人は驚いて恐怖を感じる。だから、必ず視界の中に入って語ることだ。また、私の知っている方には、20センチぐらいまで近づかないと目の焦点が合わない方がいた。普段なら顔を近づけて話すことはないが、こういう人には思い切って近づけることだ。こうした本人の障害を知ることが基本なのだ。

 ある認知症当事者に話を聞いていると、その方から「あんたは早口で分からない」と言われたことがあった。こちらは普通にしゃべっているつもりなのに、この人には私が2倍速でしゃべっているように聞こえるそうである。

 ところがどういうわけか、本人がしゃべるときは普通のスピードなのだ。なぜそうなるのかは、本人も分からないそうである。

「この人なら聞いてくれるはず」と分かれば、当事者は必ずしゃべってくれる。ただし、認知症の人にも見えがあり、時には作話もあるのですべて真実とは限らない。

奥野修司

奥野修司

▽おくの・しゅうじ 1948年、大阪府生まれ。「ナツコ 沖縄密貿易の女王」で講談社ノンフィクション賞(05年)、大宅壮一ノンフィクション賞(06年)を受賞。食べ物と健康に関しても精力的に取材を続け、近著に「怖い中国食品、不気味なアメリカ食品」(講談社文庫)がある。

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