独白 愉快な“病人”たち

動かない時計の幻覚が…チョコボール向井さん脳出血を語る

チョコボール向井さん
チョコボール向井さん(C)日刊ゲンダイ

 発症したのは、忘れもしない2017年の6月23日。当時、新宿2丁目でスナックを経営していて、夜8時のオープンに合わせて夕方6時50分ごろから開店準備をしている時に具合が悪くなりました。

 症状は体の上からきました。まず左目がシャッターが閉まったように見えなくなって、次に口の左側がダランと下がってきて、左手もダランと……左半身が麻痺してきたんですね。開店間もなくにお客さまが来たのが不幸中の幸い。立ち上がろうとしたら踏ん張りが利かず、そのまま崩れ落ちてしまって「救急車を」とお願いしました。自分じゃ何が起こっているのかわかりませんでしたね。

 国立国際医療研究センターに運ばれ、CT検査などで「脳出血」と判明しました。右脳の前頭部の被殻出血でした。即入院でしたが手術はせず、降圧剤と脳のむくみを取る薬の点滴治療を始めました。

 さらに、入院8日だったか10日目に敗血症を起こし、39度以上の高熱が下がらずICUへ。危篤状態ですよ。体が震え、頭は朦朧として、幻覚で壁に動かない時計が見えたりもしました。

 幸い、2週間目には症状が落ち着いて点滴が取れ、流動食になりました。でも、口とか食道とかも麻痺しているからうまくのみ込めないんです。飲み物にもとろみをつけられて……イヤでしたねぇ。

 後遺症は重度で、手も足もまったく動きませんでした。立ち上がることさえできず、移動は車イス。体重は中高生の時以来の69キロまで落ちました。AV時代は85キロ、プロレスラー時代は90キロあったから、ガクッときました。

 周りの患者さんたちは60代、70代の方が多いのに、何で50歳の自分が……と悔しくて、恥ずかしくて。周囲には私だと気付かれますしね。最初は車イス姿を誰にも見られたくなかったです。

 でも、入院中はたくさんの仲間や友人がお見舞いに来てくれて感激しました。AV男優では誰よりも早く加藤鷹さんが来てくれました。入院5日目だったかな。5万円の見舞金もいただきました。5万円ってAV男優の1日分のギャラですからね。その後もほぼ毎日、AV女優や監督、AV男優のしみけんくん、プロレス仲間、お店のお客さまが続々とお見舞いに来てくれて、本当に励みになりました。周りは一体、何だろうと驚いていたでしょうけど(笑い)。

■リハビリは1日3時間プラス"自主リハ”で必死に努力

 入院3週目を過ぎると、回復期リハビリテーションを行う専門病院へ転院し、治療からリハビリへ本格的に移りました。しかも、元巨人の長嶋茂雄さんも入院した初台リハビリテーション病院に入ることができたのでラッキーでした。

 リハビリはスパルタでした。理学療法士、作業療法士、言語聴覚士に付いて1日3時間。それ以外も、自主トレならぬ自主リハビリですよ。絶対に回復してやろう! と必死で努力しました。

 入院した時、主治医に「退院までは4カ月から半年が目安です」と言われ、「3カ月で退院しますから!」と宣言したんです。

 6時半に起床してまずはストレッチと腹筋。夜は食後の7時から寝る直前の10時まで、廊下でひとり黙々と歩行訓練と片足スクワットに取り組み、1カ月で車イスから杖で歩けるようになりました。

 なかなか回復しなかったのは手でした。今も硬くなって動きがぎこちないんですけど、入院2カ月目からは、右利きなのに、ドアの開閉、トイレ、歯磨き、食事など、ほとんど左手でこなす生活を送りました。作業療法の先生に、「これからはオナニーも左手でやりますかね?」と冗談を言ったら、ドン引きしてたなあ(笑い)。

 脳出血の原因は高血圧でした。区の健診で収縮期血圧が180㎜/Hgもあったんです。「危ない」と指摘されてはいたんですけど、何がどう危ないのかわからなかった。それに、まさか自分が病気になるなんて思っていないから、降圧剤を飲むとか健康に気をつけてもいませんでした。

 店を始めて10年半、昼夜逆転の生活で、毎晩、ビールは小瓶で10~12本必ず飲んでいたし、深夜4時に営業が終わってからラーメンや牛丼を食べる。ランチは「いきなり!ステーキ」にハマって週3回。たばこは吸っていませんでしたが、不摂生でしたね。

 回復期病院は10月の終わりに公言通り退院し、去年5月までは週1回通院してリハビリを続けていました。今はジムに週5、6回、午前と午後の1時間半ずつ2回通っています。子供より遅いぐらいですけど、走ることもできますよ。一度できなくなったからこそ、できる喜び、少しずつ克服する喜びを大きく感じています。

 ただ、欠けている左側の視野がまだ回復せず、医者から「車の運転は控えてください」と言われています。あと、アソコが勃っても左が麻痺してるから左に傾く(笑い)。精力も弱くなって、もう、やってもやらなくてもどっちでもいいかなって感じです。

 店は退院して1カ月ほどして幡ケ谷で再開しました。倒れる前はお金に追われてたけど、今は欲張らずのんびりです。健康第一で、もうちょっと生きたい。それが切実な願いです。

(取材・文=中野裕子)

▽ちょこぼーる・むかい 1966年、群馬県生まれ。高校卒業後、プロレスラーを目指し上京。新日本プロレスの練習生になったが挫折し、90年にAV男優デビュー。日焼けしたマッチョな体で“駅弁”スタイルを披露して人気を博した。99年には念願のプロレスデビューを果たす。現在はAV男優、プロレスラーともに引退し、2006年からスナック「CHOCOBALL FAMILY」を経営。

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