これで認知症介護は怖くない

介護のために同居を始めると父親との関係がギクシャクした

(提供写真)

 具体的な例を紹介する。

 佐藤啓介さん(仮名)は出版社に勤務する40代のサラリーマン。父親が認知症になってから、すっかり人生が狂ってしまった。

 実家は両親2人だけの生活で、年老いた母親には認知症の父親の介護は手に負えず、かといって、父親の性格からヘルパーともうまくいかず、母親は佐藤さんに助けを求めた。

 最初は時々実家に帰って介護を手伝っていたのだが、やがて症状が進行するにつれて、それではとても間に合わなくなってきたので、思い切って両親と一緒に住むことになった。もちろん、これまでのようにサラリーマン生活を続けることは難しく、勤めていた会社を辞めて近所で仕事先を探した。

 最初は両親も喜んだが、そのうち父親との関係がギクシャクし始めた。

 最初の兆候は、佐藤さんが食事を作って父親に出したときだ。「こんなまずいものを親に出すのか」と吐き捨てたので、ついに親子喧嘩が始まってしまった。

 だんだんと父親は不機嫌になり、大声で怒鳴るか、全く口を利かないかだった。ときには楽しいはずの食事中に、いきなりお茶碗を投げつけることもあった。

 どちらにしても普段の父親からは想像もできない。ネットで調べたり、必死に介護しているつもりの佐藤さんは、なぜそんなことになるのか、いくら考えても分からなかった。

 デイサービスは週に5日間で、休日は休みなのに、父親は出ていこうとする。なだめても出ようとするので、とうとう玄関を開けられないようにしてしまった。

 症状が進んだのかと思い、ある日の朝、迎えに来たデイサービスの職員にそのことを伝えた。すると、職員は何度も首をひねり、「うちの施設では楽しそうだし、大声を出したことは一度もありませんよ」と言った。

 父親は、なぜ不機嫌になったのだろうか。次回はその理由を分析してみる。

奥野修司

奥野修司

▽おくの・しゅうじ 1948年、大阪府生まれ。「ナツコ 沖縄密貿易の女王」で講談社ノンフィクション賞(05年)、大宅壮一ノンフィクション賞(06年)を受賞。食べ物と健康に関しても精力的に取材を続け、近著に「怖い中国食品、不気味なアメリカ食品」(講談社文庫)がある。

関連記事