松平健 若さの秘訣

2年前に持病の不整脈でカテーテル手術を経験しました

松平健
松平健(C)日刊ゲンダイ

 65歳といえば、会社員だった同級生も一線を退く頃合いに差し掛かっている。

「豊橋にはたまに帰りますが、やっぱり故郷はいいですよね。同級会を頻繁にやっているわけではないのですが、今年も1月に名古屋の御園座で舞台をやったので、そういう時に同級生が名古屋まで応援に駆けつけてくれます。駅前は私が育った頃とはまったく違いますが、やっぱりどこかホッとします」

 愛知県豊橋市は、東は弓張山系を境に静岡県と接し、南は太平洋、西は三河湾に面する。温暖な気候の下、松平はすくすくと幼少期を過ごした。

「父親はもともとは大工でしたが、戦争では『陸軍の自転車部隊で南方戦線に従軍した』そうです。母は岐阜の田舎から嫁いできました。小学生の頃に一度、母の実家に連れて行ってもらったことがありますが、今はその実家も親戚の家もダムの底に沈んでいます。150センチと小柄な女性でした。名前は平仮名で『鈴木いつ』。私は7人きょうだいの末っ子で、母が40を越えてからの子。昔はどこもそうでしたが、きょうだいが戦前と戦後と離れている家庭が多かった。私のところも一番上の兄は20歳も年上で、親子ほども年が違います。その兄は今も地元で健在で、姉たちは旦那さんが亡くなってしまったのもいますが、ますます元気になっている気がする。姉妹がワイワイと集まって、一緒に旅行にも行っているようです」

 小学生の頃は、学校の近くの川で泳いでいた。

「学校のすぐ近くに豊川という全国的に見ても水質のいい川があり、幼い頃から吉田城(豊橋公園)の下でよく泳いでいました。健康優良児で小さい頃から風邪もあまりひかなかった。海がすぐ近くで、魚をたくさん食べていたことも健康になった秘訣かもしれません」

■母親の皿の上に魚はなかった

 ただし、家が貧しかった。自分の皿に焼き魚があっても、ふと母親の方を見ると魚が置かれていないこともあった。少年の頃の記憶として強く印象に残っている。

「どういう女性だったかというと、ひと言で表現するとしたら『忍』。朝から晩まで働きづめで、いつ寝ているかと思うほど。まさしく、『おしん』のような人でした。私が26歳の時に69歳で亡くなっていますから、もう40年になる。24歳で『暴れん坊将軍』の主役に抜擢されましたから2年くらいはテレビで見てもらえました。それが親孝行と言えば親孝行ですが、もう少し長生きしてくれたら、世界遺産などへ旅行にも連れて行ったりすることができたかもしれません……」

 病気知らずでここまで来たが、2年前に不整脈の手術を受けている。

「一昨年、カテーテル手術を行いました。足の付け根から細い管を血管内に挿入し、狭くなった血管を広げる治療です。ずっと血液をサラサラにする薬は飲んでいたのですが、投薬だと心臓に負担がかかるそうで、思い切って手術をしました。ただ、今は治療法が発達していて、3日くらいの入院で退院できました。それまで心拍数が常に100くらいあり、ちょっと運動してもすぐに息が切れていたのに今は大丈夫です。人間ドックは事務所スタッフと一緒に東京・港区にある病院で年に1回。まったく血液検査も引っかからず、今のところ健康です」

 若い頃はスポーツジムにも通ったが、今はもっぱら近所のウオーキングだ。松平が外を歩いていればすぐに気付かれそうだが、小走りに近い猛スピードで歩くため、まったく気づかれないと笑う。他にはどんな健康法を実践しているのか?(つづく)

松平健

松平健

1953年11月、愛知県豊橋市生まれ。7人きょうだいの末っ子。78年、24歳の若さで「暴れん坊将軍」の主役を務める。2004年に「マツケンサンバⅡ」が大ブレークし、NHK紅白出場。新曲「マツケン・アスレチカ」(徳間ジャパン)を発表。

関連記事