独白 愉快な“病人”たち

メスを入れるのが嫌だった 村上弘明さん大腸がん振り返る

村上弘明さん
村上弘明さん(C)日刊ゲンダイ

「私だったら切るね」

 医師との話し合いのとき、カミサンに先にそう言われてしまったものだから、引くに引けなくなって仕方なく腹腔鏡手術で大腸を切ることになりました。でも、本当は内視鏡でポリープを取るだけで済ませてもらいたかったんです。カミサンは帝王切開を4回もやっているから(笑い)。もしも、あの場にカミサンがいなかったら、ずっと内視鏡でのポリープ切除にこだわり続けたと思います。それくらい体にメスが入るのは嫌だったんです。

「大腸がん」の手術をしたのは去年5月22日のこと。その3カ月前に告知されていましたが、「ドラマの撮影終了を待っても問題ない」ということで、5月のタイミングになりました。

 それくらい“ひょっとしたらがん化しているかもしれない”という段階のポリープでした。主治医は「ステージゼロですから、そんなに深刻な顔をしないで大丈夫です」と言うんですけど、「それなら手術しないでよ」って内心叫んでいました(笑い)。

 そもそもの始まりは、50歳を過ぎた頃から人間ドックを受け始めたことです。それもカミサンの助言で仕方なく……。ボクは病気知らずで常日頃から運動もまめにやるタイプなので、自分では「健康診断なんて必要ない」と思っていました。

 でも、初めて人間ドックを受けたとき「念のために大腸の内視鏡検査をしてほしい」とクリニック側から言われて、受けたらポリープが見つかったのです。取って病理検査をしたら「先っぽのほんのちょっとだけがん化していた」と言われました。でもそのときは「今は大丈夫。ただ2~3年に一度は内視鏡検査を受けた方がいいですね」とのことでした。

 それから何回目かの、2016年の内視鏡検査で、医師に一瞬「ん?」という動きがあったんです。でも一瞬のことで、そのあと念入りに探しても見つからなかった。それで、「過去にがん化したポリープがあったということは可能性がゼロではないので、念のため来年も内視鏡をやってくださいね」と言われたわけです。

 ところが17年、人間ドックの先生は「内視鏡ですか? 必要ないでしょう」と言うんです。自分としてもなるべくやりたくないので、その言葉にすがって、結局その年は内視鏡検査を受けませんでした。

 でも、年明けにそれを知ったカミサンから「でも内視鏡の先生には“来年も”って言われたんでしょう?」と指摘され、ボクがモタモタしている間にカミサンがマネジャーに電話をかけ、スケジュールを確認するなり病院に検査の予約を入れてしまったんです。

 まあ、そのおかげでがんかもしれないポリープが見つかったのですが、医師に「もしもがんだとしたら内視鏡でのポリープ切除は飛び散る可能性があるので、念のため腹腔鏡手術で大腸の一部を切った方がいい」とのことでした。

 そこで最初にお話ししたカミサンの一言があって、結局、大腸を切除しました。

 手術は約1時間。全身麻酔で、目覚めたのは4時間後でした。口に管が入っていましたが、目覚めの感想は「あー、よく寝た」というスッキリ感。実はボク、「睡眠時無呼吸症候群」なんです。だからあの爽やかな目覚めは本当に久しいという感じでした。

 ただ、他人に自分の体をすべて委ねる経験は初めてだったので、入院中は看護師さんが近寄るたびに「この人の人格は大丈夫なんだろうか……」と心配でした。だって、“看護師や医者が犯人だった”なんてことがドラマでよくあるでしょ? おちおち寝ていられませんでした(笑い)。

■やりたいと思ったことはすぐに実行した方がいい

 病気から学んだのは、東日本大震災でも感じたことですが、当たり前の日常が、本当は幸せだということ。

 今回はステージゼロとはいえ、人生初の手術を経験し、「人生、先のことはわからない。自分がやりたいと思ったことはすぐに実行した方がいい」と思うようになりました。

「仮面ライダー(スカイライダー)」でデビューして以来、“俳優とは、作品を選び、社会にメッセージを与えるようなものを作っていくもの。ドラマ、映画、舞台以外のものはやるべきではない”と先輩諸氏に教わってきました。

 でも、それは周囲から刷り込まれた考えで、自分の考えじゃないことにふと気づきました。震災で変わってしまった故郷の景色を思うにつれ、「その状況に応じていくのが強く生きるということではないだろうか」と考えたら、今の時代、新しいことにチャレンジするのも悪くないと思えたんです。

 病気を機にバラエティー番組や歌にも挑戦する気持ちが芽生えました。現実のボクは決して寡黙な男ではありませんから(笑い)。 (聞き手=松永詠美子)

▽むらかみ・ひろあき 1956年、岩手県生まれ。大学入学で上京。1979年に「仮面ライダー(スカイライダー)」で主役デビュー。その後、「必殺仕事人V」「柳生十兵衛七番勝負」などに出演し、NHK大河ドラマの常連俳優でもある。テレビ、舞台、映画だけでなく、最近はバラエティーでも大活躍。同時に東日本大震災では実家が被災したこともあり、岩手県PR特使として復興支援に尽力している。

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