都内に住む西光男さん(仮名)は、「徘徊」を繰り返す認知症の母親に困り果てていた。私が母親を取材したのはそんな時だ。
「徘徊」とは、辞書には「あてもなくうろうろと歩き回ること」と書かれている。これは認知症によくある「問題行動」のひとつとされているが、中には「頭がおかしくなったから徘徊するんだ」という人もいた。
本当に「あてもなく」歩くのだろうか。
私が西さんの母親を取材したのはデイサービスの事業所。その理由は、息子の光男さんがいると本音を語らないと思ったからだ。
認知症になっても、自分がどういう立場にいるかはよく分かっている。この母親も、息子がいないと困るから、息子がいるところでは息子の不利になることは言わない。それに母親はこのデイサービスを気に入っていた。気に入るというのは安心できる場所のことである。だからこの事業所を選んだのだ。
母親によれば、最初は息子もやさしかったそうである。言い間違えても、そっと慰めてくれた。ところが、それが何度も続くうちに、「変なこと言うなよ」とか「しっかりしろよ」などと言うようになった。
「昔は優しい息子だったんだけどね。私は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな怖い息子になったんだろう」とつぶやいた。
ある時、ムシャクシャしたので、外に出て歩いたら気分はすっきりしたという。
「風が気持ちいいわよ。嫌なことはみんな忘れるの。今日みたいに天気のいい日はきっと気持ちいいわね」
乙女のように言った。
ただ、外に出たのはいいが、帰り道がわからず迷ってしまったのである。本人は目的があって家を出たつもりだが、帰れなくなると世間は「徘徊」という。
もっとも翌日になると迷ったことも忘れるから、嫌な時は気分をリセットするために、たびたび家を飛び出すようになったようである。