「ゆかいな認知症」(現代新書)を出版して以来、介護している家族からはメールや手紙をいただくことが増えたが、時々気になることがある。
「頑張ってお母さんを最期まで家で介護するつもりです」
といった文章だ。きっと真面目で実直な方なのだろうが、私には不安で仕方がない。
介護は頑張ってできるものではない、と私は思う。確かにがんの場合、在宅で最期まで面倒を見る方は多い。しかし、認知症と決定的に違う点がある。がんの終末期は、介護する期間が2~3カ月に対し、認知症は長期にわたることだ。24時間、気を緩めることのできない介護が何年も続くのである。
それに加えて、意見の合わない家族や親族がいたらどうなのだろう。わが家はストレス空間になってしまうだろう。
そしてもうひとつ、その介護がいつもうまくいくとは限らないことだ。
たとえば「認知症の父が自分の言う通りにしてくれない」と訴える方がいたが、果たしてそれを自分で解決できるだろうか。ご飯を作ったのに食べてくれない時は? 幻覚が見えたら?
アルツハイマー型認知症の人には「作話」はよくある。認知症になって不安でいっぱいなのに、家族から不用意な言葉をかけられたら、自分を守るために作り話で取り繕うのは人間として自然な行動である。そうとわかっていても、それを否定せずに何度も聞き続けることができるだろうか。プロの介護職でも無理だ。
認知症の人に必要なのは、自分にできないことは無理せず、誰かに頼ることだったが、家族も誰かに頼ることである。
地域で相談できる場所をつくったり、自分の気持ちを話せる相手を見つけたり、あるいはデイサービスやショートステイを利用して自分の時間を持つのも手だ。連載8回目でも紹介した丹野家のように「ほったらかし介護」はベストだが、それも頼れる方がいてこそである。かいがいしく世話をしようなんて考えず、人に頼りつつ、開き直ることも必要だろう。
辛抱しない! 頑張らない! 悩みをひとりで抱え込まない! 介護を「快護」に変える条件はこの3つである。
これで認知症介護は怖くない