これで認知症介護は怖くない

「物盗られ妄想」ではなぜ家族が犯人になるのか

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 認知症の人によくある行動に「物盗られ妄想」がある。認知症の母親が、「財布がなくなっている。誰かに盗まれた」と言いだすケースなどがそうだ。

 財布が見つからない時、「一緒に捜そう」と言ってくれたら、たとえ見つからなくても母親は安心する。ところが、「まだ捜しているの?」とか「どこかに置き忘れたんじゃないの?」とボケ老人扱いしたら、その瞬間に母親の尊厳は粉々に散ってしまうはずである。物忘れはよくないと思われている環境で、物忘れを指摘されたら本人はつらい。素直に「私はボケました」と認めることはないだろう。最初は自分を責めるが、そのうち取り繕おうとする。

 ところが、物忘れを指摘されたら取り繕えなくなってしまい、周囲に「あんたが盗ったんだろ」と責任を転嫁して自分のプライドを維持しようとする。

 物盗られ妄想の悲劇は、「あんたが盗った」という時の「あんた」は、自分がいちばん世話になっている嫁や娘であったりすることだ。

 不思議に隣の人や見知らぬ人が「犯人」になることはまずない。「あんたが盗った」という時の表情が、ある家族が「鬼ババア」と表現するほどものすごい形相だったケースもある。家族は「こんなに世話してあげているのに、泥棒扱いして」と悔しい思いをすることだろう。

 なぜ身近な人を犯人にするのだろうか。連載第7回で「認知症の人は励ましの言葉で傷つく」と述べたが、家族のなにげない言葉や行動で、普段から認知症の人が「叱られている」と感じていたら、「はは~ん、私の財布を盗ったのはあんただな。だから私を責めていたんだ」となって、「あんたが盗った」と反撃するのである。「理由もなく叱る」攻撃に対して、攻撃で返すのは人間の心理としては当然だろう。

 よかれと思って一生懸命に励ます家族ほど攻撃されやすい。ただ、物忘れがあっても周囲が「大丈夫よ」と受け止めてくれる環境であれば、忘れても大切にされていると感じて、攻撃することはないそうだ。

奥野修司

奥野修司

▽おくの・しゅうじ 1948年、大阪府生まれ。「ナツコ 沖縄密貿易の女王」で講談社ノンフィクション賞(05年)、大宅壮一ノンフィクション賞(06年)を受賞。食べ物と健康に関しても精力的に取材を続け、近著に「怖い中国食品、不気味なアメリカ食品」(講談社文庫)がある。

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