「母さん、とうとう俺の顔も忘れたんです。介護していてもまるでアカの他人ですよ」
山崎雄二さん(仮名)は言う。認知症になった母親を介護していたが、最近は「あなた、誰?」とか、親戚の叔父さんに間違われるという。
その人が誰かわからなくなることを「見当識障害」という。時間や場所がわからなくなることもそうだ。でも、「わからなくなる」ということはどういうことだろう。
数年前のことである。記憶が10分も維持できない認知症の婦人がいた。子供時代を過ごした実家が好きだというので、施設の責任者と相談して、みんなで実家へ遊びに行くことになった。そこで半日ほど遊んで帰ったのだが、翌朝、その婦人に挨拶すると、「昨日は楽しかったねぇ」と言われたのだ。10分も記憶を維持できない人が、昨日のことを覚えていたのである。
認知症になるとすぐに忘れるというイメージがあるが、忘れたのではなく、記憶しなかった(できなかった)のではないか。私たちでも重要でないことは記憶しないのと同じだ。先ほどの婦人が覚えていたのは、彼女にとってそれが重要な体験だったからだろう。
もし山崎さんが、母親と折り合いが悪くなっていたり、介護がルーティンになって、2人に親子の会話がなく、息子なのにヘルパーのような存在になっていたら、介護されても母親から「息子」という認識は消えていくだろう。あるいは障害によって、若かった頃の息子の記憶が現れ、中年になった山崎さんを認識できないのかもしれない。
それでもいいのではないか。忘れたからといって「なんで俺のことを忘れる!」と指摘すれば、山崎さんは「怖い人」になって、母と子の関係性はますます薄くなる。
反対に、息子の顔を忘れても、やさしく声をかけていれば、少なくとも温かみは伝わって「身近で大切な人」と認識してもらえるはずである。
その後、山崎さんは居直り、「息子の雄さんに似てるねぇ」と言われると、「おれも雄二って名前ですから」と笑い返しているそうである。
これで認知症介護は怖くない