後悔しない認知症

前頭葉が萎縮してまっても人間の脳には「予備力」がある

写真はイメージ
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「いまの親のあるがままを、悲観せずにまず受け入れること」

 何度も述べているが、高齢の親の認知症に対して、子どもはこれを忘れてはいけない。子どもの悲観の原因は「物忘れがひどい」「記憶力が衰えた」といった認知症特有の症状であったり、「耳が遠くなった」「筋力が衰えた」といった老化による能力の減退、喪失があったりするのだが、それは老化に伴う自然な変化と受け止めるべきだ。そのうえで、かつての親と比較してできなくなったことを嘆くのではなく、「いまもできること」を喜ぶスタンスを持つべきだろう。
<人間は高齢に達すると自然にボケていく。これは病気ではない。変化というべきだろう。問題はボケない工夫ではあるまい。そうではなく、良くボケることが大事なのではあるまいか>

 作家の五木寛之さんが本紙の連載「流されゆく日々」(5月15日付)で述べておられるが、まさに慧眼である。子どももまた高齢な親の認知症を嘆いたり、否定したりするのではなく、認知症を自然なこととして受け入れ、五木さんが言うところの親が「良くボケる」=「機嫌よく長生きする」を実現してあげることを心がけるべきなのだ。

 前回「どこかが痛いわけでも、生活に不自由をきたしているわけでも、自覚症状があるわけでもない」のであれば、高齢の親が長生きだけのために毎日薬を飲むのは避けるべきだと述べた。厚労省や一部の医者が力説する、いわゆる基準値などに惑わされて、「良くボケる」を損ねることになっては本末転倒である。また、CT画像による脳の萎縮なども、少なくとも臨床的には認知症特有の症状に直接結びつくとはかぎらない。以前、70代、80代でも現役で活躍している政治家、実業家の脳内のCT画像を見たことがある。たしかに、脳全体に萎縮はあったものの、認知症の症状は見られなかった。

■刺激で意欲の低下は防げる

 私自身、「前頭葉が縮めば必然的に意欲も衰えるのでは?」と考えていたのだが、彼らは「若いころと比べても、仕事や趣味への意欲は衰えていない」とのことだった。逆にCT画像では前頭葉の萎縮は認められないのに、認知症の人以上に意欲が低下している人もいる。つまり、前頭葉が萎縮してしまうことを止めることはできなくても、その萎縮した前頭葉を刺激し続けていれば、気持ちや意欲の低下を防ぐことができるのだ。

 もちろん認知症は、神経細胞の数が減るだけでなく、生きている神経細胞にも問題が発生することによって発症するので「脳を使っていれば100%認知症にはならない」とは断言できない。

 しかし、人間の脳には約1000億の神経細胞があるとされており、かつ、実際に人が生涯で使うのは多くて10%、ケースによっては数%にとどまるといわれている。それだけ「予備力」に富む器官なのである。刺激して使い続けていけば、ふだんは眠っている神経細胞が活発に動きはじめて、老化によって減っていた神経細胞の役目をカバーできるともいえるのだ。

 飛行機が航行中にエンジンに故障が発生することがある。だが、ひとつのエンジンの故障だけならもうひとつのエンジンだけで飛行を続け、無事に着陸できる。

 とにかく、子どもは認知症の親の故障してしまったエンジンを嘆くのではなく、いまも見事に動き続けているもうひとつのエンジンの力を愛でるべきだ。認知症であっても熟練パイロットのひとりである高齢な親は、「良くボケた」状態を保ちながら飛行を続けて、見事に着陸してみせるはずだ。

和田秀樹

和田秀樹

1960年大阪生まれ。精神科医。国際医療福祉大学心理学科教授。医師、評論家としてのテレビ出演、著作も多い。最新刊「先生! 親がボケたみたいなんですけど…… 」(祥伝社)が大きな話題となっている。

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