私の知人が自分の高齢の母親について興味深い話をしてくれた。95歳になる母親は彼の住まいから電車で10分ほどの場所で一人暮らしを続けている。週に1回、日曜日に彼は母親宅を訪れるのだが、ひとつだけ注意していることがあるという。それは母親が定期購読している新聞のことだ。「新聞がクシャクシャになっていれば安心。きれいに畳んだままなら要注意」だというのだ。知人は、もし母親が若いころから毎日隅々まで読んでいた新聞を読まなくなったら老化、認知症発症の兆しだと考えているという。つまり、新聞を読むか読まないかが母親の変化の尺度になっているわけだ。
そんな彼女だから、彼が訪ねてくると決まって新聞で仕入れた新しい情報を話題にするという。
最近も「日本では2025年には認知症が700万人になるそうだね。私は生きていないだろうけど……」などと、政府が発表した認知症対策の新聞記事から得た情報を披歴したそうだ。傍らには熟読したと思われるクシャクシャの新聞が置いてあったという。
「客観的に見ても認知症の症状はありませんね」と知人は安心顔でいう。実際、彼女は最近受けた認知症の検査でも満点を取って、担当の医者を驚かせたそうだ。
彼が気に掛けるように、認知症を発症するとこれまで続けてきた趣味や習慣に変化が表れる。脳の萎縮によって、物事への興味、行動への意欲が低下することで生じる変化だ。衣食住についてのこだわりがなくなったり、知的関心がなくなったりする。このコラムで度々述べているが、それを回避するためには「脳を悩ますこと」が大切だ。とくに読書や新聞、雑誌の購読は有効だ。併せて、入力された情報を子どもや友人、知人に出力する機会が多ければなおいい。日記を書く、手紙を書く、詩を書く、俳句や川柳を詠むといった出力も同様だ。
■習慣を変えず入力&出力を
ただ、こうした情報の入力、出力といった行為は、高齢な親自身がこれまで親しんできた趣味、習慣の中で続けてもらうことが重要だ。
最近、テレビを中心にメディアが取り上げる脳トレなどの認知症対策法だが、高齢者のこれまでのライフスタイルを度外視して画一的に効果があるかのように紹介されている。長年、老年精神医学の現場で多くの臨床例に接してきた私自身、その効果については懐疑的だ。
若いころからそのプログラムに親しんできた人はともかくとして、「認知症予防にいい」からと付け焼き刃的にはじめる高齢者にとっては、効果はきわめて限定的といっていい。そのプログラムの得点はトレーニングによって高まるが、他の知的能力が上がらないことは研究で実証されている。つまり、認知症の症状の進行を回避する可能性は低いと考えるべきだし、高齢の親にとっては大きなストレスになる場合もある。大切なことは脳を悩ませながらも、高齢の親が機嫌よく続けられるプログラムであるかどうかなのだ。
冒頭で紹介した知人の母親のように活字に親しむことはもちろん、映画、音楽の鑑賞、囲碁、将棋、麻雀、依存症でなければ、競馬などのギャンブルでもいい。
「親の認知症の進行を防ぎたい」という子どもの気持ちは理解できる。だが、大きなストレスを与えるプログラムを強いることは、逆に認知症を進行させる可能性もある。子どもの自己満足で終わってはいけない。
後悔しない認知症