運動は認知症の予防や改善に役立つか? 専門家に聞いた

同時に2つ以上のことをするトレーニング
同時に2つ以上のことをするトレーニング

「ウオーキングや水泳といった有酸素運動は脳の血流を増やすので認知症予防に効果がある」といわれるが本当だろうか。認知症の7割を占めるアルツハイマー型認知症は脳内に異常なタンパク質が蓄積して神経細胞(ニューロン)を死滅させることで発症するとされている。運動にはこうしたメカニズムにストップをかける働きがあるのだろうか? 放射線医学総合研究所・脳機能イメージング研究部の樋口真人部長に聞いた。

■認知機能は多種多様

「運動で認知症リスクが下がったとする研究論文は数多く出ています。しかし、運動によって認知症の原因とされるタウタンパク質やアミロイドβ(Aβ)の脳内の蓄積量が大幅に減ったという報告はないと思います」

 たしかに、まったく運動しない人に比べて早歩き程度の運動を週に3回以上している人は認知症の発症リスクが半分に減るなどの報告がなされている。

 しかし、これらは認知症で失われた神経細胞の役割を別の神経細胞の強化でカバーしているだけで、認知症の病態を直接改善しているかは不明だ。

「運動すれば特定のニューロンが発芽(軸索が伸びてネットワークを補強したり新しく作ったりすること)します。ニューロンが死んでも別のニューロンの発芽によりネットワークを作り直すことができます。このとき周りのグリア細胞も活動して必要な代謝物や栄養が脳内に運ばれる。結果、脳の恒常的な作用は保たれやすくなると思います。ただ、それでアルツハイマー病型認知症の病態抑制効果があるとはハッキリ言えないと思います」

 たとえば、「手続き記憶」と呼ばれる記憶がある。文字を書いたり、自転車に乗れたり、楽器の演奏ができたりする、いわば段取りの記憶だ。同じような経験の繰り返しにより獲得でき、いったん記憶されると無意識に機能して長期間保存される。

「手続き記憶は手足を動かすことで記憶の回路が強化されるため、運動で記憶は強化されるでしょう。しかし、運動で人の顔を覚えるなど他のパターンの記憶も保持されるのか、という点については分かりません」

 複雑な道を走るロンドンのタクシー運転手の海馬の灰白質(記憶にかかわる脳の領域)は年をとっても衰えず、成長しているという。

 だから運転は認知症予防にいいのではないか、と考える人もいるだろう。

 しかし、それは運動が関わる記憶を強化させているだけで、言葉などの認知機能全般をアップさせるわけではない。

「言葉の意味や物の名称などの一般的な知識や常識に関する記憶に『意味記憶』があります。これが障害される認知症が意味性認知症です。この病気を発症されたタクシーの運転手は、車を運転してお客さんを目的地に運ぶことができるのですが、車を運転する際に握るものを聞かれて、ハンドルと答えることができませんでした。記憶はカテゴリーによってある程度脳の働きが分かれている。運動すればある程度脳は鍛えられるのでしょうが、意味記憶まで保たれるか、といえば必ずしもそうではないのではないかと思います」

 顔を記憶する脳の領域は決まっていて、その他の記憶は特定の領域を持つものも持たないものもある。「認知症予防に人の顔を記憶するよう心がけている」という人は、その領域を鍛えているだけで必ずしも認知機能全体を向上させることにはつながらない可能性がある。

「認知機能が低下した人は同時に2つ以上のことをするのが難しくなります。実際、歩いているときにおしゃべりすると転びやすい、という報告があります。認知症を検知したり改善したりするため同時に2つ以上のことをする訓練のひとつとして運動は良いのかもしれません。しかし、運動だけでOKというわけではないと思います」

 そもそも、認知機能テストで一定の点数を取れば正常と認定されるが、正常とされる脳にもさまざまなバリエーションがある。時間感覚、記憶、空間認識、図形認識に問題がある場合がある。

 その意味でも「運動だけしていれば認知症対策が十分」というわけではない。

■筋肉の収縮で分泌される物質との関係

 最近の研究よると、筋肉の収縮により分泌される「マイオカイン」などと呼ばれる物質が脳に運ばれて、神経細胞そのものを制御したり、免疫担当細胞の働きを変えたりする可能性が取り沙汰されている。

「筋肉由来の物質が、異常なタウやAβの排除に関わるミクログリアやアストロサイトといったグリア細胞を活発化するのでは、と注目されています。さらにはこうした物質が、正常な神経細胞までも攻撃するタチの悪いミクログリアを、正常に戻す働きがあるかもしれないという仮説もあります。しかし、いずれも研究途中であり、どの部位をどの程度動かせばどのような効果が得られるか、明確な結論は出ていません」

 運動は認知症に良い影響を与える可能性は高いが、認知症が気になる世代にとって運動はリスクになる場合も。現時点ではその効果を過信せず、散歩程度にとどめておく方がいいかもしれない。

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