がんと向き合い生きていく

認知症でがんになったら治療で命を延ばす意味はないのか

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 K医師は、ご近所に住むAさん(75歳・女性)の胃がんを診断し、病院に紹介しました。幸い手術でがんは全部取り切れましたがステージは3で、再発予防のためには内服抗がん剤が有効です。K医師もそれは分かっていますが、Aさんが間違えずに内服してくれるかが心配でした。Aさんは認知症があり、物事を理解する能力がかなり落ちていたからです。

 そこでK医師は、認知症のある患者に対して抗がん剤治療をどうしているのか、大学の後輩で現在はある大学の腫瘍内科に勤務するN医師に電話してみました。すると、意外な返事が返ってきたといいます。

「物事を判断できない人が、がんの治療をして余命を延ばす意味があるのでしょうか? 認知症の人ががんの治療をして命を永らえる、その意味があるのでしょうか?」

 答えに窮したK医師を尻目に、N医師はさらにこんな話を続けたそうです。

「もし、患者が認知症になる前に自分で判断できるうちに念書を書いて下さっていれば、私たちは楽です。『認知症など、自分で物事の判断ができなくなったら、がんの治療はしません』と書いておいて下さればいいのです。自分が認知症でがんになったら、治療で命を延ばす意味はない、治療をして欲しくない。誰だってそう思っているのではないでしょうか? 高齢社会で医療費がかさむ日本のためにも、そして何よりもっと迷惑をかけてしまう自分の家族のためにも、命の価値観を考えていただきたい」

「Aさんのような場合、家族にしてみれば、悩んでしまって『それでもやっぱり長く生きていて欲しい。治療して欲しい』となる場合が多いのです。自分で判断できるうちに本人が書いた『治療しない』との書面があれば、問題なく家族も医療者も治療しないことに納得できるのです」

 K医師はそこまで聞いて、失礼とは思いつつも「ありがとう」と言って電話を切りました。そして、こんな憤りを感じたそうです。

「自分はN医師からそんな事を聞くつもりで電話したのではない。安全な治療のやり方を聞いたのだ。認知症になったら、命を永らえる治療は意味がない? 認知症患者は長く生きている意味がないっていうのか? 俺は若い時に、N医師にそんな指導はしなかったはずだ。命の大切さをたくさん教えたはずだ。『命の価値観を考えて』ってなんなんだ? 腫瘍内科医はそんなことを考えているのか? 認知症の患者には、がん治療はしないのか?」

■生きている価値がないと考えるのは論外

 しばらくすると、今度はN医師から電話がかかってきました。

「電話が切れてしまってすみませんでした。先ほど言ったことは、私の愚痴みたいなものです。実際は、たとえば認知症で内服薬治療を間違える危険がある場合は、週1回の点滴治療をしています。家族かヘルパーさんに付き添っていただいています。Aさんの場合は……」

 K医師は少し冷静になって、しばらくN医師の話を聞いてから「ありがとう、それではまた……」と電話を終えました。

 K医師は、生命倫理学の「人格論者」が頭に浮かびました。米国の哲学者エンゲルハートらの人格論者は正常な命を価値ある命とし、「幼児、老衰者、発達障害者、重度精神障害者など」を社会的な意味での人格として、「経済的・心理的な負担を担うなら、その尊厳は否定できる」としました。しかし、彼らは、命はたったひとつのもの、かけがえのないもの、代理不可能であることを考えていません。認知症でも、生きている価値がないなどと考えるのはまったくの論外。そして家族にとっても大切な命なのです。

 K医師は、N医師に自分の考えを手紙にして出すことにしたそうです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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