独白 愉快な“病人”たち

トイレに1日30回…ムッシュ・ピエールさん潰瘍性大腸炎を語る

ムッシュ・ピエールさん
ムッシュ・ピエールさん(C)日刊ゲンダイ

 発症したのは2012年9月、41歳の時。師匠であるルビー天禄のマジックバーを辞め、1カ月後の10月には自分の店(大阪・北新地「BARMagic Time」)を始めるための準備で忙しくしていた頃でした。

 最初に気付いたのは便に血が混じっているということでした。鮮血ではなく粘血便です。

 すぐに近所の病院にかかったところ、肛門付近を触診されて「外痔核だな」と言われたので、「ああ痔なんだ。お尻に薬を塗って清潔にすればいいんだ」と安心していました。

 ところが、薬を塗っても粘血便は止まらず、下腹部の真ん中あたりにお腹を下した時のキューンとした痛みが出始め、トイレに行く回数がどんどん増えていくのです。外出もままならなくなります。

 これはタダごとじゃないと思い、消化器科を受診して大腸内視鏡検査を受けましたが、これが死ぬほど痛くて気を失いかけました! そして、難病指定の「潰瘍性大腸炎」と診断されたのです。内視鏡に映った私の腸壁は真っ白にただれ、シロウト目にもひどい状態だとわかりました。

 担当医はもちろん薬を処方してくれましたが、指示通りに飲んでも一向に良くならず、むしろ悪化。

 トイレから出て1分後にまた腹痛で駆け込む……という状態。1日30回くらいトイレに行っていたと思います。4キロ近く体重が落ち、体力も落ちてしまいました。

 担当医は、医学書を見ながら「おかしいな……この処方で合っているはずなんだけどなぁ」と言うばかり。ちょうど引っ越しするタイミングでもあったので、引っ越し先の近くにある病院への紹介状を書いてもらい、内視鏡検査の写真も添付してもらいました。

■「死ぬまで付き合う病気」と説明された瞬間、なせかホッとした

 引っ越し先にある病院の担当医はたまたま潰瘍性大腸炎を非常によく研究されている方でした。「薬は合っているんだけど、処方量が少な過ぎる」と、それまでの4倍のMAXの量の薬を出してくれました。毎食後に3錠飲み続けたところ、ようやく半年ほどで症状が治まったんです。

 病気について、先生から「不治の病です。死ぬまで付き合う病気だから気長に付き合うんだよ」と説明していただいた瞬間、なぜかホッとしました。もしかしたらがんかも……という不安があったので、今すぐ死ぬ病気じゃないんだと理解できたからだと思います。

 当時は結婚3年目。私の体調を気遣い、うどんやおかゆなど消化のいい食べ物を作ってくれる嫁。お店の経営がまだ安定している状態でもなく、マジシャンとしての活動もあります。止まること休むことはできないと思い、精神的にも追い込まれていたと思います。

 私の病気の症状は重症にかなり近い中等度だそうです。もし、飲み薬でコントロールできなくなったら、高額の注射で対処し、それでも改善しなかったら大腸がんの危険が高くなるので手術をして大腸を切り取り、小腸と肛門をつなぐそうです。日々、そうならないよう気を付け、願っています。

 この病気は原因が特定できないそうです。自分では、もともと胃腸が弱かった上に、ストレスが大きくなったことが原因じゃないかと思っています。

 私自身のお店を出す、独立するのはこれまでとはまったく違う環境でした……。毎日のショーが予定通りにいくかどうかもとても気になります。それらがストレスになったのだと思います。

 今は休める時は休み、ストレスをためないよう心がけています。早めに切り上げられる時は切り上げる。朝、目覚めても疲れて眠い時はそのまま体を休め、無理はしない。腹が立ったりイライラしたりすることがあったら、パソコンでそれをガーーッと打ち込み、ネットに投稿せず消去して発散するのも一つの方法です(笑い)。

 症状がなく寛解状態が続いていても時に再燃することがあり、それが1~2カ月続くこともあります。でも、ここ2年近く症状は出ておらず、食事も健康な人とほぼ変わりありませんが、ホルモンなど脂の多い肉の部位や刺激の強いもの、ボクには相性の悪いトウモロコシとエノキダケは避け、強いアルコールを控えるようにしているぐらいです。

 病気を経験して痛感したのは、セカンドオピニオンの大切さです。もし、私のようになかなか症状が改善しなかったら、他の病院に行ってみてください。

 潰瘍性大腸炎は薬の種類が複数あり、処方された薬が合わない場合もあるそうです。私も、薦められた新薬は激しい胃痛を伴いました。便の説明をすることを最初は恥ずかしく感じるかも知れませんが、ガマンせずすぐに担当医に相談してほしいですネ。

(取材・文=中野裕子)

▽1971年、栃木県足利市生まれ。大阪大学人間科学部1年の時、奇術研究会に入会。その後、ルビー天禄に弟子入りして修業を重ね、2004年「爆笑おすピー問題!」(フジテレビ系)の「日本マジック統一王座決定戦」での優勝を皮切りにマジック界で躍進を続け、日本を代表するマジシャンに。現在、大阪・北新地でマジックバーも経営している。

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