上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

心筋梗塞に対する再生医療の一時中止から見える日本の課題

順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授
順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 東京・府中市にある榊原記念病院で行われていた心臓に対する再生医療の臨床研究が一時停止されました。心臓の筋肉や血管細胞を作る働きがある心臓組織の幹細胞を採取して体外で培養し、再び患者の心臓血管内に戻す治療で、心筋梗塞によって心不全を起こした患者の心機能の改善が期待されていました。

 同病院ではすでに2人の患者にこの治療を行っていましたが、治療の効果を示した海外の論文が撤回されたことでいったん取りやめ、国の認定を受けた再生医療の審査委員会に継続可否の判断を仰ぐといいます。

 幹細胞を使った再生医療は、順天堂医院でもフィンランドと共同で研究を進めています。心臓組織にある脂肪の中の幹細胞を利用して心筋を再生する治療です。もともと心臓の筋肉の中には脂肪がありません。それがどこかのタイミングで筋肉と筋肉の間に脂肪が出現してきます。これは、筋肉にも脂肪にもなっていない幹細胞の段階で「脂肪になるためのスイッチ」が押されているということが考えられます。となると、脂肪になる前の幹細胞を取り出して、脂肪ではなく筋肉が再生するスイッチを押してあげれば、幹細胞が筋肉になる可能性があるのです。

 こうした幹細胞を使った再生医療が実現すれば、心筋梗塞はもちろん、手術ができない心筋症の治療にも有効です。心房筋に幹細胞を戻せば、心房細動を治せる可能性もあります。治療の手だてがない心臓疾患を抱えている患者にとって、大きな福音になるのは間違いありません。

 ただ、榊原記念病院が研究を一時停止した一件を見ても、日本は制約が非常に多いことがわかります。日本で行われている再生医療の研究は、再生新法(再生医療等安全性確保法)や臨床研究法という法律によって一定の制約を受けています。再生医療の乱用による患者さんへの被害をなくすことが目的で、一連の薬害問題などからの反省が生かされています。研究の途中で少しでも問題が出てきた医療は、監督官庁である厚生労働省に届け出て、その後の方針を問い合わせるのがルールになっているのです。

 また、プロトコル(最初に決めた手順)から少しでも変更がある場合も変更届を提出しなければいけません。なんのために再生医療を研究しているのかわからなくなってくるくらい手続きがものすごく面倒なのです。そのうえ、そうした煩雑な作業を請け負ってくれる下部組織もありませんから、最前線で動いている医者がすべてをこなさなければなりません。

■アジア諸国に出向いて研究を進めるプランも検討すべき

 日本の再生医療は世界中から期待されています。訴訟リスクが大きいうえ、臓器移植が進んでいるアメリカでは再生医療の研究が鈍化していることもあって、なおさら注目されています。そのために国内の法律の縛りが厳しくなっているのですが、日本でさらに再生医療の研究を進めていくためには、厳しすぎる法律の考え方を少し変えたほうがいいのではないかと考えます。再生医療を必要としている患者さんは“待ったなし”の状態で「もうこの治療しかない」と懸けているケースがほとんどですから、今のままでは急にはしごを外されて光明を見失う人が出てきてしまうでしょう。

 同時に国内だけでなく、もっとアジア諸国に出て行って再生医療の研究を進めるプランも検討すべきです。多くの先進国では臓器移植のハードルがそこまで高くないため、再生医療に期待されているのはがんに対する治療です。しかし先進国の場合、がんに関しては新しい抗がん剤の開発研究が先行しています。

 一方、後進国では所得が少ないために高価な抗がん剤を買えない人がほとんどです。また、整形外科や脳神経外科でも高次の運動機能を回復させる専門科が不十分なので、外傷や病気による機能障害が残ってしまう患者さんがたくさんいます。それらを改善するための再生医療を必要としている患者さんがたくさんいるのです。

 日本は医療先進国ですが、臓器移植のハードルが高いことなどから再生医療を必要とする患者さんが多くいます。いわば先進国と後進国の中間の立場に位置していて、再生医療のキャスチングボートを握っているといえます。

 だからこそ、再生医療を研究するしっかりした組織をつくり、患者数が多いアジア諸国に出向いて治療を行い、その中で得た知見を日本に持ち帰ってバージョンアップしていく。そうした考え方で再生医療の研究を進めていくのが発展への近道かもしれません。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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