「入院中の捕らわれの身だということをだれも気付かないだろう。ただ、疲れた男が入ってきたとしか思わないだろう。でも、私は『2時間』に縛られた捕らわれの身なのだ。壁にかかったルノワールの絵も、店内で流れているドボルザークの新世界も、私には何も語らない……」
Rさんは、コーヒーを半分残してそそくさと病室に戻りました。
「外にいた人たちと私とは違う。私は捕らわれの身。死が近い身なのだ」
◇ ◇ ◇
働いているRさんの妻は、週2回ほど着替えを持って来てくれます。B病院に移って3週間がたった頃には、息子が訪ねて来てくれました。
男同士で何を話すか、Rさんは話題を探しました。息子は、病状を気遣っているふうもなく、いま学んでいる哲学の話をしてくれました。世の中で直接は役に立たない話だけれど、学んでいることを熱心に話す息子の姿に、「よし、大学の勉強はそれでいいんだ」とRさんは思ったといいます。
がんと向き合い生きていく