独白 愉快な“病人”たち

勝率5%の勝負なら「勝てる!」 松井理悦さん白血病と闘う

松井理悦さん
松井理悦さん(C)日刊ゲンダイ

 去年2月に2回目の臍帯血移植を受け、年末に退院しました。そうしたら今度は右足が帯状疱疹になり、一部の神経が破壊されて歩けないので現状は車イス生活です。

 5年前、34歳の時に「慢性骨髄性白血病」と診断されました。事の始まりは、脱腸だと思って病院に行ったことです。当時は出店した店がうまくいかずに資金繰りに追われていて、人手不足で昼から晩まで休みなく店に立っていました。頭痛や鼻血、しんどさはあったものの、寝不足や飲み過ぎとしか考えていませんでした。

 血液検査で「白血病の可能性がある」と言われ、その後、腰から針を刺して背骨から骨髄液を採って調べるマルクという超絶痛い検査で慢性骨髄性白血病と確定されました。「映画みたいだ」と思わず笑ってしまったのを覚えています。

 治療は飲み薬でした。白血病にも種類があり、慢性骨髄性は薬で抑えられるとのこと。しかし、その薬が高額で、3割負担でも1錠6000円。1日1錠で月18万円になる計算です。当時は経営が火の車だったので、治療費は店の支払いに充ててしまい、受診日を何度もすっぽかす始末……。ついに出店で多忙を極めていたある日、鼻血が一晩中止まらなくなりました。血まみれのティッシュに埋もれていたところをスタッフに助けられて救急車で病院へ運ばれると、半年足らずで「急性リンパ性白血病」に悪化していました。

 治療は当初、強力な抗がん剤で悪性の白血球をやっつけた後、骨髄移植をするという計画でした。ところが白血球の型が合うドナーが見つからず、時間的に間に合わないとなって白血球の型が完全に一致しなくても移植ができる「臍帯血移植」になりました。赤ちゃんと母体をつなぐへその緒にある造血幹細胞を移植するという方法です。

 移植の瞬間は点滴なのであっさりしたものですが、新しい白血球がボクの細胞を敵とみなして攻撃するので、副作用はハンパありません。移植後の2週間で2割の人が亡くなるそうです。

 その闘いを乗り越え、おかげさまでいったんは良くなり、1年後には薬も必要ない状態になりました。

 ですが移植から2年半で再発し、しかも再発した場所は脳でした。その頃も相変わらずの仕事人間でむちゃしていて、出店したタイから帰国した翌日、体調が最悪なまま店まで5分おきに吐きながらたどり着き、その後タクシーで病院へ運ばれました。

 今度は「このままだと余命2カ月」と宣告され、入院となりました。放射線、抗がん剤、飲み薬、そして「ズイチュウ」と先生たちが呼ぶ骨髄から脳へ送る抗がん剤注射も行われました。そんな中、医師から提示されたのは「このまま2カ月の余生を送るか、生存率5%以下の臍帯血移植を再び行うか」の2択でした。

 当然、後者を選ぶしかありません。5%なんて関係ない。自分にとってはゼロか100の感覚です。勝率5%の勝負ぐらいならこれまで何度も勝ってきたので、「勝てる!」と思いました。

■3カ月で体重が61キロから32キロに激減

 再び新しい白血球の容赦ない“攻撃”にあい、ものすごく苦しい思いをしました。何も食べられず、3カ月間は点滴とゼリーだけ。体重は61キロから32キロに激減しました。ただ、そのGVHD(新しい白血球と従来の細胞との闘い)は苦しいほど生着しやすくなると言われたので、それを頼りに耐え抜きました。

 3カ月と言われた入院は、結局1年1カ月に及びました。頭痛、吐き気はもとより、膀胱炎、帯状疱疹2回、肺炎3回、白内障などなど、いくつも病気になりました。一番ひどかったのは下痢で、寝たまましてしまうので何枚もパンツを捨てました。

 入院中も、もちろん仕事はしていました。スタッフの給与計算、支払い、業者との連絡、銀行との交渉など、病室に大量の書類やパソコン、郵便物などを持ち込んでいたので、看護師長さんからは「荷物が多すぎる」と常に注意を受けていました。食欲が出てから勝手に出前をとったときは、逆鱗に触れてしまいましたね(笑い)。

 病気をして、いろいろなことを深く考える時間ができました。それまでは事業を成功させることばかり考えていましたが、「思いやり」が生きるテーマになりました。なぜならボクはたくさんの人の輸血と臍帯血のおかげで生かされたからです。

 その分、世の中にお返しをしたい。今は「人生はいかに多くの人を幸せにするかというゲームみたいなもの」だと思っています。車イスになって低い目線から見える世界は、また一層違います。駅の改札口で「お先にどうぞ」と言ってくれる人がいるかと思えば、無理やり割り込んで改札を走り抜ける人もいます。「2~3分で次の電車がやってくるのになんで?」と思います。

 現在、通院は2週間に1回。足の帯状疱疹でまた入退院を繰り返していますが、経営は順調になってきたので「目指せ100店舗」を目標に掲げています。そしていつかヨーロッパのサッカーチームを買いたい。これ、本気です(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽まつい・まさよし 1979年、大阪府生まれ。暴走族的なことをしていた10代を経て20歳で上京し働きながら社会人入試で専修大学に入学。25歳で食品や車のタイヤの輸出入や輸出入代行を行う貿易会社を起業。翌年にからあげ専門店「天下鳥ます」1号店を開店し、2019年6月現在、海外4店舗を含め28店舗を展開している。難病患者を経済面からフォローする「ひつじ基金」も立ち上げた。著書に「白血病社長~意志あるところに道はある」(セルバ出版)がある。

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