独白 愉快な“病人”たち

手術で死にかけて…仁支川峰子さん甲状腺がん闘病を語る

仁支川峰子さん
仁支川峰子さん(C)日刊ゲンダイ

 息が止まりそうになって、死にかけました。でも甲状腺がんのせいじゃありません。もうはっきりわかっているから言いますけど、手術で失敗されたんです。「医療の現場ではこういうことがあるんですよ」ってことを世の中に発信するために私は生かされたんだと思っています。

 甲状腺がんがわかったのは、2010年3月半ばでした。まずは1月に博多での舞台公演中に突然、声が詰まって出にくくなり始めました。喉の中がずっとイガイガしている状態で、外見でもポコッとプチトマトが入ったような膨らみが日に日に成長していくのがわかりました。

 ちゃんと食べているのに急激に痩せていくし、「おかしいな、しんどいな」と思っていましたところ、突然失禁をしたんです。ちょうど休演日で、ベッドで横になっていたとき、目は覚めていたのに尿意がないまま……そりゃもうビックリしました。借りていたウイークリーマンションだったので大慌てでお掃除して……。でも「きっと疲れてるんだ」と思っていて、喉の膨らみも「脂肪の塊だろう」ぐらいにしか考えていませんでした。

 舞台を終えた2月、食事会で偶然お目にかかったお医者さんに「これ、なんだと思います?」と喉を見せました。そこから紹介に次ぐ紹介で、甲状腺がんの手術で有名だという大学病院にたどり着き、正式に「甲状腺がん」と診断されました。

 進行も遅く、悪性度は低いとのことだったので、4月の舞台が終わるのを待って入院。手術を受けて4~5日で退院する予定でした。ところが、手術をした日の夕方になって喉がすごく腫れてしまって……。まだ麻酔が効いていたので痛みはありませんでしたが、担当医が来て縫った糸を手で切ったら、血がピッと飛んだのが見えました。

■息が止まって「もう死ぬ」という瞬間に3日間で10回襲われた

 その夜8時ごろ、緊急手術になりました。私が死にかけたのは、その日の夜中からです。1日に2回の全身麻酔で、麻酔の量が多すぎたんじゃないかと思うんです。意識は戻っても体中が痺れて指一本動かせませんでした。なにより呼吸が困難で、息が止まりそうになるんです。私は必死に訴えました。「麻酔が効きすぎてるからなんとかして!」って。でも声は出ないし、表情も動かせなくて、はたからは普通に寝ているようにしか見えなかったようです。人が死ぬとよく「穏やかなお顔で」なんて言うけれど、絶対苦しくなかったわけがないと、私は身をもって確信しました。

 必死に訴えているのに誰にもわかってもらえない日が続きました。医師たちは、数値に異常がないのになぜ呼吸がときどき止まりかけるのかわからなかったんです。息が苦しすぎて眠れないし、息が止まって「もう死ぬ」という瞬間に3日間で10回襲われました。

「なんでわからないんだ! 医者なのに!」と私は怒り狂っていました。そしてついに「麻酔が強いのよ!」という心の叫びがかすかに唇を動かしたのか、一人の医師が気付いて「麻酔がなるべく早く取れる薬に切り替えます」と言ってくれたんです。10回目に息が止まりかけたとき、術後初めて「コホッ」と咳をすることができました。薬を入れ替えて数時間後のことです。その瞬間まで「コホッ」ともできないくらい全身が麻痺していたのです。

 その後はみるみる血の気が戻ってきて、入院から2週間弱で退院することができました。後からこっそり聞いた話では、1回目の手術時に血がほとんど出なくて、止血すべき場所がわからなかったようです。結局、止血せずに閉じたものだから、じわじわ出血して喉が腫れたんでしょうね。

 ちなみに私、がんと聞かされたときも、喉の手術をすると決まったときも、ショックとか怖いといった気持ちはまったくありませんでした。なるようにしかならないですから。ただ、1回目の手術前、脅すつもりはなかったんですけれど、「私、声が出ないと困るから、絶対に声は奪わないでくださいよ。先生の責任ですからね。きっちりやってください」って担当医に強めに言っちゃったんです。「あの言葉で、先生は怖くなって手術で緊張したかもしれません」って、元気になってから看護師さんと笑い話になりました。

 失敗は仕方ないと思っています。医者だって人間ですから。でも麻酔の効きすぎがわからず、数値が正常だからといって精神科の医師まで繰り出して、しまいには「病院で一番強い睡眠薬を入れましょう」と言われたのには愕然としました。麻酔で命を落とす人って意外といるんです。顔は穏やかでも、実は苦しみや痛みを必死に訴えているケースもあるってことを知ってほしいと思います。

 いろいろありましたが、手術後は声の伸びが数倍良くなりました。病気以外も含めて、人生で死にかける経験をこれだけする人もそうはいないと思うので、「発信する使命を持っているのかな」と思いますし、もう大抵のことは怖くなくなりました(笑い)。

 (聞き手=松永詠美子)

▽にしかわ・みねこ 1958年、福岡県生まれ。73年に全日本歌謡コンテストで優勝し、翌年にはデビュー曲「あなたにあげる」が大ヒット。日本歌謡大賞最優秀新人賞、日本レコード大賞新人賞などを受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場して人気を博す。その後は女優としても活躍し、芸能生活45周年を迎えた現在は舞台と歌を中心に多忙な日々を送っている。7月27日まで新橋演舞場での舞台「笑う門には福来たる」に出演。8月には悪い女シリーズ第4弾「悪い女に札束を」で主演を務める。

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