がんと向き合い生きていく

生後2カ月でお腹にがんができた女の子に思った「命の価値」

佐々木常雄院長
佐々木常雄院長(C)日刊ゲンダイ

 ある日、1歳になったばかりの意識がない女の子Tちゃんが、そっと運ばれてきました。丸くてぽっちゃりしたかわいい子供でした。小さなベッドに寝かされて、そっと、そっと運ばれてきました。頭を少し動かしただけで、けいれんの発作を起こすのだそうです。

 Tちゃんには、たくさんの管がついていました。けいれん止めの薬がわずかずつ静脈内に投与されるようになっています。頭髪はなく、頭には細い管が入っていて、脳圧が高くならないように脳脊髄液が調整されています。他にも小さな胸の真ん中に点滴の束があって、カロリーが高い栄養がそこから静脈に入ります。おしっこも出せないので、尿道に細い管が入っていました。

 私は小児科医ではなく、がんを持ったこんなに幼い子を診察したことがありません。ただただ「かわいそう」と思いながら、邪魔しないようにTちゃんの動きを見ているだけでした。そして、一緒についてきた医師と看護師が、こちらの診療所の医師と看護師に手際よくたくさんの申し送りをしているのを聞いていました。

 Tちゃんの母親は、そばで着替えやタオルなどを整えていました。Tちゃんは生まれて2カ月でお腹にがんができたそうです。以来、10カ月以上も抗がん剤治療が繰り返されてきましたが、がんは悪化し、肝臓、肺臓、そして脳にも転移がきました。ほとんど意識のない状態になって、数カ月が経っているといいます。もう積極的な治療法はなくなり、死が近いことが予想され、両親はこれまでの専門病院から、自宅が近い診療所にお世話になることを決められたようでした。

 Tちゃんを置いて帰る医師と看護師も、そしてこれから担当する医師と看護師も、けいれんが起きた時の処置をはじめ、これから起こりうる可能性のある、あらゆることを話しておきたい、聞いておきたいと、双方とも一生懸命です。

 スタッフの誰かが言いました。

「Tちゃん、いらっしゃい。よく来てくれました。仲良くしましょ。Tちゃん、1歳おめでとう」

 Tちゃんは、眠ったままのように見えて、まったく反応はありません。それでも、苦しそうな表情ではありません。穏やかに、リラックスしているようにも見えました。

■みんなが一緒になって共に病気と闘ってきたことが分かった

 なぜか分かりませんが、私はふと思いました。

「そうだ、この子はこの世に生まれてきた意味があったのだ」

 最初は「この子は、生まれてからずっとずっとがんで治療を受け、途中で意識もなくなって、それで1年……。そしていまや死が近い。なんのために生まれてきたのか。この子の命は何だったのか?」という考えが頭に浮かんだのですが、「そうではない。この子が生まれた価値はあったのだ」と思ったのです。

「たくさんの医療費がかかり、たくさんの人に迷惑をかけて、そして死んでいくだけ……いや、そうではないのだ」

 双方の医師と看護師の間で交わされるたくさんの申し送りを聞いていて、大事に大事に、専門病院のスタッフみんなが一緒になって、Tちゃんと共に病気と闘ってきたことが分かりました。Tちゃんの命を一生懸命に守ってきたのです。そして、Tちゃんのこのリラックスしている状態がみんなに勇気と希望をくれているのです。

「『いらっしゃい。1歳おめでとう』という言葉にすべてが表れているじゃないか! この子、Tちゃんの命の価値はすごい。すごい。『おめでとう』なのだ」

 この子の人生では何かできたか。何か目的が果たせたか? そうではないのです。この子はなにも知らない。なにも考えていない。でも、この子の様子を見て、周りで働くみんなを見ていて、私はTちゃんが生まれてきた意味、1年生きてきた意味があったのだ、と思ったのです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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