独白 愉快な“病人”たち

半日遅れてたら死んでいた…冠二郎さん虚血性心不全を語る

冠二郎さん
冠二郎さん(C)日刊ゲンダイ

 3年前に31歳下の女房と入籍しまして、「若い嫁サンもらったから心臓やられたんだ」なんて冗談で言う人もいるんですけどね(笑い)。今は旅も含めて付き添ってもらい、食事やら血圧やら管理してもらっています。血圧や血糖値が上がると、心臓に負担がかかるんでね。

 初めて症状に気づいたのは去年の12月25日でした。ステージに備えて発声練習に行こうと、自宅から駅まで40分ぐらい歩いたら、ハーハーと息苦しくなりました。その頃はインフルエンザがはやっていて、女房に「マスクをしたほうがいいよ」と言われ、「普段しないマスクをしたせいかな」と軽く考えていました。

 その後、年末年始にかけては横になると喉がピーピーいっていたんだけど、軽い喘息かなと。病院嫌いだからそのままにしていたら、1月15日、3月に発売する「さみだれ」の仮歌のレコーディングで息の吸い込みがうまくできなかったんです。

 2日後のジャケット写真の撮影の時は、もうゼーゼーしてひどい喘息みたいに苦しくなっちゃって……。仕事帰りに受診したら虚血性心不全だと診断され、医師から「半日遅れたら死んでましたよ」と言われました。

 心臓の冠動脈が狭くなっていて、全身に血液を送り出す力が普通の人の半分ぐらいになっていたんですね。インフルエンザにもかかっていて肺炎を起こし、肺に水がいっぱいたまっていました。そりゃ苦しいはずです。

 そのまま個室の集中治療室に放り込まれて6日間、酸素マスクをつけ、血をサラサラにする薬や利尿剤などを点滴しました。テレビも本もない部屋で、管だらけで横になっていると、孤独感と「死ぬのかなぁ」という不安が募って、この時が一番ツラかったですね。

 入院から4日目に、右手首と右太もも付け根からPTCAバルーンカテーテルを入れて冠動脈を広げ、血の流れを再開する手術を受けました。痛みはまったくなくて、かかった時間は30~40分でした。すぐに一般病棟に移り、院内で歩行訓練などをして、2月5日に退院しました。

 今は半分くらい戻りましたけど、退院直後は体重が10キロも落ちて、「体力が落ちているから転ばないように」と注意されていました。それなのに2月10日の朝、ベッドから起き上がろうとした時に滑って尻餅をついて、背骨がゴキッ! 圧迫骨折でした。

 それでも放っておけば治ると思って、5日後に予定していたレコーディングまでやり通したんだけど、痛みで脂汗が出てね。観念して病院に行って、結局、5月中旬までコルセットをしながら仕事をしていました。

 心不全の原因は、医師から「サウナが悪かった」と言われました。71歳で結婚するまでほとんど毎日、サウナに通ってサウナと水風呂を楽しんでいました。昼夜逆転生活だったし、心臓に負担がかかっていたんですね。

 3年前に結婚してからは女房に合わせ、夜寝て朝起きて1日3食取る生活に変わりましたけど、もし女房がいなくて心不全になっていたら、精神的にもまいって鬱になっていただろうし、今のこの状態には戻れなかったと思いますね。結婚が幸いしました。生きててよかった。

 ただね、サウナをやめ、たばこもやめ、10年ぐらい前から高血圧と糖尿病だから、この前、旅先でバイキングに行った時、オレが持ってきたキムチもメロンソーダもダメだって女房に取り上げられて……。あの時ぐらい、悲しかったことはなかったね。

 女房が取ってきたシシャモと茶碗蒸しを食べたんだけど、とうとう爆発。結婚して初めてケンカになりそうになりました。食事の後、夜中の2時までずっと言い合いです(笑い)。女房に言わせると、オレは子供なんだそうです。でも、つらいよ。何食ったらいいかわかんない。

■6年前には口腔がんで8時間の手術

 酒は30年前にやめました。平成元年にNHK紅白歌合戦出場を目標に願掛けしたのがきっかけでね。それまでは一晩1升ぐらい飲んでて、40歳の時、急性アルコール肝炎になりました。

 6年前の独身時代には口腔がんにもなりました。右奥歯の噛み合わせが悪く、右頬の内側を何度も噛んでいたことが原因で、500円玉大の白い腫瘍ができて診断はステージⅡでした。耳の後ろからあごの下までを切開して、右奥歯を4本抜き、がんを取り除き、そこへ左太ももの筋肉を40センチぐらいごっそり取って移植したので、手術は8時間かかりました。術後、10日間ぐらい右頬が腫れ上がって大変でした。それでも、必死でリハビリして退院翌日には1時間のステージを2回(笑い)。その後、皮膚に転移し、これは通院の陽子線治療で完治しましたけど、保険が利かず290万円ほどかかりました。

 これまで、自分の体に自信過剰だったんです。秩父の山奥で育って丈夫だったし、「歌を歌うには究極を見てぶっ壊れるぐらいじゃないとダメだ」と、酒、たばこ、ギャンブル……もうむちゃくちゃやっていました。こうして生きているのが不思議なぐらいです。

 満身創痍ですけど、その痛みを背負っても歌うのがオレの流儀。ステージに立つと、不思議と何かが降りてきたみたいにパワーがみなぎるんです。これからも「セイヤ!」と元気なステージを続けますよ!

 (聞き手=中野裕子)

▽かんむり・じろう 1944年、埼玉・秩父市生まれ。本名・堀口義弘。高校卒業後、作詞家の三浦康照に弟子入りし、67年に「命ひとつ」でデビュー。91、92、95年とNHK紅白歌合戦に3度出場。特に92年の明るく元気に歌う「炎」がヒットし若年世代にもファンを広げた。2019年3月には「さみだれ」(日本コロムビア)をリリース。

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