独白 愉快な“病人”たち

成功率は10万人に2人と…歌手・音々さん脳腫瘍を振り返る

音々さん
音々さん(C)日刊ゲンダイ

 2016年12月20日、渋谷のライブハウスで家族が「あらかわ家」としてワンマンライブを行っていました。そのとき、私はHCU(高度治療室)で酸素ボンベや点滴や心電図の線につながれたまま「タクシーを呼んで!」と大騒ぎして、揚げ句ベッドに縛り付けられました。前日に脳の手術をしたばかりなのですから、無理ですよね。でも、何が何でも会場に行きたくて……。

 その半年ぐらい前から、右脚の膝から下に痺れを感じ始めていましたが、「夏のライブでスライディングしたせいだな」と思っていました。私、ロックシンガーなので、たまにステージ上で派手なパフォーマンスをするんです。

 でも11月の後半、口の半分にも痺れを感じて、ものが食べにくくなりました。近所の内科を受診したのは忘れもしない12月10日。そこから大学病院を紹介され、1週間後に行くことになりました。しかし何かを感じたのか、夫が「1週間後じゃ遅い」と判断し、少し遠い脳神経外科を探して、その日のうちに車で連れていってくれました。

 診てくれた医師に「脚と顔の痺れのほかに何か変わったことはありませんか?」と聞かれたので、「そういえば最近毎日しゃっくりが出ます。特に食事の後なんかに」と答えたら、「それはMRIを撮った方がいい」となったんです。

 しゃっくりとMRIの関連がわからないまま、すぐに紹介された池袋の画像検査専門のクリニックに向かい、MRIを撮りました。翌朝、脳神経外科に行くと画像が届いていて、「大きな脳腫瘍が見つかりました」と言われたのです。

 腫瘍は良性だったのですが、できた場所が延髄という脳の最下部、首の後ろ付け根辺りで、いろんな神経が集まる場所でした。

 痺れはもちろん、しゃっくりの原因も腫瘍のせいだったようです。私の場合、腫瘍が少しだけ左側に寄っていたのでセーフでしたが、大きさ的には呼吸器を塞ぎかねないほどで、寝ている間に息が止まって、朝亡くなって発見されるケースもあると聞きました。

 医師からは「10日以内に手術しないと命の保証はできません。手術の成功率は10万人に2人。手術をしても半身不随の可能性があるので覚悟してください」と言われました。でも、元気だったので事の重大さをまったく理解できませんでした。

「20日のライブに絶対出る!」と医師に強く言い張ると、家族全員が病院に呼ばれて親族会議になりました。私は「良性の腫瘍なんて外にあればイボ。手術はライブ後に受ける」と抵抗したのですが、母親に「生きていてほしい。生きていればライブはいくらでもできるんだから」と諭されて、手術にしぶしぶ同意させられました。しかも、手術はライブ前日。脳神経外科を受診してから10日以内に本当に手術することになったのです。

 手術前に「会いたい人には会っておくように」と3日間家で過ごしました。私と母親と妹3人は気丈でしたが、父親と弟は号泣です。「こんなとき、女は強いな」と思いました(笑い)。

 手術は8時間という長丁場でした。後頭部の頭蓋骨を2つ外し、腫瘍の摘出は成功。ただ骨の1つは砕くしかなかったようで、今、私の頭蓋骨の一部は人工の骨です。

■ライブに行くつもりで手術翌日からリハビリを開始

 手術当日の夜はものすごい痛みに襲われました。でも、翌日にはライブ会場に行くつもりで早々にリハビリを始めたんです。健闘むなしく、さすがにライブ会場には行けませんでしたが、手術当日のICUから1日でHCUへ移り、3日目には一般病棟へ行き、8日目には退院しました。普通は1カ月以上かかるものらしいですよ。身体、口、言語という3人のリハビリの先生たちに「とにかく早く退院したいからガンガンやってください」とお願いして、猛リハビリしたたまものです。

 早く退院した代わりに、1~2カ月はほぼ毎日通院し、週1回MRIというスケジュール。しかも3カ月間、歌禁止。すでに4月にライブが決まっていたのですが、歌が解禁になったのは本番の1週間前でした。さらに、ライブ当日は“担当医付き”でした(笑い)。

 腫瘍を取ったら痺れが右脚から左脚に移り、疲れると膝が曲がらなくなったり、感覚がなくなったりして「このまま歩けなくなるのかな」と思うこともあります。でも、普通に生活していれば日常に問題はありません。

 成功率が恐ろしく低い手術を乗り越えたせいか、病後は運が巡ってきたようで、人生が一気に開けてきた感じがあります。とにかく忙しくて楽しい。再発の怖さはありますが、その時はまた乗り越えればいい。命はいつ失うかわからないから何事にも最善を尽くそうと思いますし、そんな毎日がとても幸せです。

(聞き手=松永詠美子)

▽ねね 1983年、愛知県生まれ、東京都育ち。ミュージシャンの父の下、5人姉弟の長女として生まれる。1999年から音楽活動を始め、2011年から日本語鍵盤ロックバンド「THE ROARatUS(ザ・ロアータス)」のボーカルを務める。妹弟がそれぞれ別のバンドで活動し始めたのを機に、「あらかわ家」を名乗り、家族での音楽活動もスタートさせ、現在「あらかわ家」は手売りでCD1万枚を売り切るため、全国各地に活動の場を広げている。8月1日には、「新宿ReNY」であらかわ家のワンマンライブが行われる予定。
https://www.arakawaya.info

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