安倍里葎子「私も介護仲間です」

寝たままの母の口に無理に食事を押し込んだこともあった

安倍里葎子さん
安倍里葎子さん(C)日刊ゲンダイ

 デュエットの女王といわれる歌手の安倍里葎子(旧芸名、安倍律子)さんは、東京・港区内のマンションでほぼ40年間、母親(90)と仲良く同居してきた。

「しかし6年前、母が原因不明の病で両足が動かなくなり、以来、私の介護が始まりました。どうして母にこんな病気が、なぜ私がこんなことにと悔やみましたが、泣いているゆとりもないほど、生活が一変してしまいました」

 こう語る安倍さんは、母親の介護で、生活がどう変わったのか。

 それまで母親は、安倍さんの歌手活動を支えるために、付き人や家政婦になったように、身の回りの一切の世話を行ってきた。

 部屋の掃除や洗濯はもとより、食事も作り、安倍さんの家事負担を最小限に抑えてきた。歌手活動に専念してほしかったからだ。

「それが裏目に出てしまったのでしょうか。もとより料理が下手な私は、何十年間と母の手料理に甘え、60歳を過ぎても満足な料理が作れません。台所に立っても、フライパンの掴み方もよく知らなかったのです」

 書店でレシピ本を買い求め料理と格闘するが、うまくいかない。料理途中で食材をゴミ箱に捨てたこともあった。

 食事の宅配も利用したが、問題は、母親の食事介護である。母親を椅子に座らせ、安倍さんは箸やスプーンを利用して食べ物を口に運んであげた。

 時々、母親は体が不自由になったショックで、ベッドから起きる気力も失うことがあった。食卓につかせようとするが、むずかるしぐさをする。

「私の頭は仕事のことでいっぱい。もうコンサート会場に向かう時間が迫ってきます。私は心を鬼にしまして、寝たままの母親の口に、無理に食事を押し込んだことがありました。今振り返ると、可哀想なことをしてしまったなと……」

 食事介護も一苦労だが、入浴やトイレの介護でも安倍さんを泣かせた。

 安倍さん親子が住むマンションは、浴槽が深い。細い体の安倍さんは、腕に目いっぱいの力を加え、赤子を抱くように母親を抱きかかえて、両足からゆっくりと入れた。きつい介護作業である。背中を流し、浴槽から母親を出す時は、不手際を考慮し、まず浴槽のお湯を抜いてから体を持ち上げたという。トイレの介護もまたそうである。抱えてベンチに座らせた。でも、安倍さんがコンサートなどで地方に行き、自宅を留守にする時はどうしたのか。

「不憫に思いましたが、リハビリパンツを何枚も重ね着して、母親に我慢してね、とお願いをして家を出ました」

 帰宅すると安倍さんは、自らの着替えなどを後回しにして、まず母親の下着を取り換えた。

安倍里葎子

安倍里葎子

1948年、北海道札幌市生まれ。70年に「愛のきずな」でデビュー。83年、橋幸夫とのデュエット曲「今夜は離さない」が大ヒット。その後、桜木健一、松方弘樹らとデュエット曲を次々と発売し、デュエットの女王の異名を得る。

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