後悔しない認知症

「できることがやや減るだけ」同じ目線、尊厳で接すること

(提供写真)

 知人の話を紹介しよう。その知人にとっては仕事上の師匠ともいうべき人物が、つい最近アルツハイマー型認知症と診断されたという。知人の師匠は長く出版社で編集者として働いた後、フリーエディターとして多くのベストセラーを世に出した人だ。認知症の診断は本人にとってはまさに青天の霹靂で、一時は塞ぎ込んでいたという。75歳を過ぎたころからやや耳が遠くなったという自覚はあったものの、自分は認知症とは無縁だと思っていただけにショックは小さくはなかった。 

 それでも、彼の場合、ゴルフ仲間が医者であったことが幸いした。認知症の兆候を疑ったそのゴルフ仲間の進言で専門医の診察を受けたことで早期の発見となった。そして一定の効果が認められているアリセプトを服用しはじめた。年齢の割には柔軟な頭脳の持ち主で「医者がそういうんだから、オレは認知症なんだよ」と現実を受け入れ、医者の指導に素直に従っているという。

 認知症の両親を看取った経験があり、多少認知症に関する知識を持つ私の別の知人の「認知症なんて恐るるに足らず、です」という言葉が彼を勇気づけた。新しい情報の入力能力が多少低下すること、物忘れが増えることなどはあるにせよ、脳にラクをさせないことで進行は防げるというサジェスチョンを受け入れ、診断から3カ月を過ぎた現在では、自らの経験を生かして認知症関連の書籍の企画を進めているとか。

 また、職業柄、若いころからのルーティンである新聞、雑誌の記事のスクラップ、浮かんだプランのメモはもちろん、好きなジャズライブの観賞、うまいもの店巡り、週末の競馬などを以前にも増して精力的に続けている。つまりポジティブなスタンスで脳に負荷をかけているのだ。さらに、補聴器を新調し、スムーズなコミュニケーションに努めている。家族も現実を受け入れた上で「できるだけ特別扱いしない」と決めているという。知人の話を聞くかぎり、認知症の高齢者と家族の関係は理想的といっていいだろう。

 このコラムで何度も述べているが、認知症は発症以前よりも「できることがやや減るだけ」だということを、当事者も家族も忘れてはならない。医療現場で認知症診断に使われている「長谷川式簡易知能評価スケール」の考案者である医師の長谷川和夫氏は、自身が約2年前に認知症と診断されたことを公表している。氏の認知症は嗜銀顆粒性認知症と呼ばれるものだという。

 このタイプの認知症は嗜銀顆粒という物質が脳内で増加することで認知機能障害が生じる。物忘れ、記銘力の低下ほか、怒りっぽくなるなどの性格の変化が表れるが、症状の進行はアルツハイマー型認知症に比べて比較的ゆっくりだ。長谷川氏は自分が認知症になって実感できることが数多くあったと感想を漏らした上でこうつづっている。「認知症でない人が認知症の人に接するときには、自分と同じ尊厳をもった同じ人間として、目線を同じ高さにして、特別待遇をせずに自然に接するのが大切です」(「文芸春秋」2019年7月号)

 冒頭の知人の師匠は、自分の言動がおかしいと感じたら「明日は我が身なんだから、キミも優しくそっと諭してほしい」とちゃめっ気たっぷりに伝えた上で、こういって笑ったという。「ほとんど普通、ときどき認知症」

 かつて認知症は「痴呆症」と呼ばれ、場合によっては認知症患者が隔離や放置など不当な扱いを受けたケースもあった。人生100年時代の現代では、認知症の人も、やがて認知症になる人も、正しい理解が求められている。

和田秀樹

和田秀樹

1960年大阪生まれ。精神科医。国際医療福祉大学心理学科教授。医師、評論家としてのテレビ出演、著作も多い。最新刊「先生! 親がボケたみたいなんですけど…… 」(祥伝社)が大きな話題となっている。

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