独白 愉快な“病人”たち

糖尿病で移植 南部虎弾さん「ボクは腎臓を3つ持っている」

南部虎弾さん
南部虎弾さん(C)日刊ゲンダイ

 今年の5月下旬、カミサンの腎臓を1つもらいました。移植というと、「壊れたものを取って、良いものを付ける」と思うでしょう? でもボクの腎臓は取らずにカミサンのを付け加えたんですって。だから今、ボクは腎臓を3つ持っています。

 移植になったのは、糖尿病で人工透析をしなくちゃいけない体になったことが要因です。初めて自分が糖尿病だと知ったのは2011年でした。右足の甲の小指辺りが腐ったように変色し、膝から下が桜島大根のように膨れ上がったので近所の外科に行きました。すると、「これは内臓だと思う」と言われ、東京女子医科大学病院を紹介されたのです。

「フットケア」という専門科の先生がひと目で壊死と判断して、何をするかと思ったら針金でブスブス足の甲を刺して、痛くない部分をその日のうちに全部レーザーで削り取ったんです。白い筋が見えるくらい削り取った後、初めて自分が糖尿病だと聞かされて、そのまま3カ月の入院になりました。

 治療はインスリン投与とフットケア。ただ、ちょうど学園祭シーズンでしたし、その後にオーストラリアのイベント出演が決まっていたので、「なんとしても仕事がしたい」と言い張り、途中で医師の猛反対を押し切って退院し、車椅子で無理やり仕事を続けました。

 オーストラリアに行ったら、会場付きの医師が「こんな状態じゃ出演させられない」と言い出し、しまいには「切断」されそうになったので、慌てて翌日帰国した……なんてこともありました。

 その後はインスリン注射をしながら過ごしていたんですが、2017年のある日、自宅の部屋で呼吸ができなくなって救急車で運ばれました。どうやら肺に水がたまっていたようで、気づいたら酸素マスク状態でした。

 東京女子医大で精密検査をすると、心臓の血管が細くなっていたため、即心臓のバイパス手術をすることになりました。人工透析へと話が傾いていったのは、その辺りからです。術後、血中のクレアチニン値がほぼ人工透析レベルになってしまいました。

 でも週に3日、何時間も拘束される人工透析が始まればパフォーマンスに影響するし、地方営業もできなくなる。尿はまだ出ていたので、ボクはずっと「嫌です」と言い張っていました。毒素が体に回るのか、体中がものすごくかゆかったんですけどね。

■諦めかけたとき奇跡のように手術のゴーサインが出た

 腎臓移植の話が出たのは2018年の年末です。「血液型が違っても腎移植はできる」という医師の言葉に真っ先に反応したのはカミサンでした。「私、チャレンジしてもいいですか?」と言ってくれて……。ただ、条件がいくつもあるんです。最初の3つは「がんを持っていないこと」「C型肝炎ではないこと」「たばこを吸わないこと」でした。でもカミサン、その時点でヘビースモーカーだったんです。

 それでも、乳がんやら子宮がんやら7つのがん検査を無事にクリア。そこからさらに2人の腎臓が結合するかどうかが問題でした。合わない場合は、付けた瞬間に腎臓の細胞が死んでしまうらしいんです。その条件も7つほどあり、そのうちの6つが×でした。ただ、一番大事な条件の1つが○だったので、移植の可能性は残ったんです。

 最後の難関は、カミサンの血液の血漿成分を取り出して、ボクの血漿と入れ換える血漿交換でした。1回目は90%合わず、2回目は60%ダメ。3、4回目もダメが続き「もう移植はできないんじゃないか」と諦めかけたとき、奇跡のように手術のゴーサインが出たんです。

 手術は3時間ほどでした。カミサンと並ぶようにしての同時手術です。気づいたら一般病棟の病室だったので、手術自体はそれほど難しいものじゃなかったんだなと感じました。もっとも、腎臓が本当に合ったかどうかわかるのは、術後1週間目ぐらいとのことでした。しばらくは血液融合剤が効いているので、それが切れる頃が峠なんだそうです。

 今年の5月28日に移植手術を受けて、拒絶反応もなく7月ぐらいにはボチボチ仕事復帰しましたから、綱渡りのような細い可能性の中でも腎臓移植は成功でした。

 日本は臓器移植に対してあまり明るいイメージがないですよね。でも、30万人も人工透析を続けている人がいるそうです。腎臓は1つあれば十分に働くといわれます。自分が当事者になってみて、初めて今の世の中の臓器移植への意識が変わって、ドナーの数が増えることを願うようになりました。

 つくづくカミサンに感謝です。ボクが病気になって、カミサンはニコニコしてますよ。一緒にいる時間が多くなったんでね。そう、わりとボクら仲いいんです(笑い)。

 (聞き手=松永詠美子)

▽なんぶ・とらた 1951年、山形県生まれ。大学中退後、お笑いグループ「ダチョウ倶楽部」のリーダーを経て、90年にお笑いパフォーマンスユニット「電撃ネットワーク」に参加。体を張った過激な芸で注目を浴びた。海外にも進出し、現在も世界を股に掛けて活躍している。過激でテレビ向きではないため舞台が中心だが、過去には俳優としてテレビや映画に数多く出演している。

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