がんと向き合い生きていく

「私は治します」スキルス胃がんと闘う妻は毅然と答えた

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Rさん(55歳=女性)は福祉関係の会社で部長を務めています。夫は同じ会社の課長で子供はおらず、1匹の猫と“3人暮らし”です。とても頑張り屋で会社が困難な時でも前向きで、上司からも部下からも慕われています。

 そんなRさんがお正月過ぎに時々、上腹部痛に見舞われました。最初は「食べ過ぎかな?」と思っていたそうですが、2月に入っても胃の不調は解消せず、3月初めにある大学病院の消化器内科を受診しました。ただ、採血や腹部超音波検査などでは異常なく、5日後に受けた胃内視鏡検査でも「粘膜が少し赤くただれているところはあるが、問題はない」との診断でした。

 3月末になって、Rさんは会社での長年の努力が報われ、4月から副社長への昇格が決まりました。夫や同僚はとても喜んでくれて、4月にはお祝い会が2回行われたのですが、その2回とも帰宅途中に嘔吐し、次第に食べる量が減って体重も落ちてきました。

 検査を受けた大学病院の消化器内科の担当医からは、「精神的なものではないか?」と言われましたが、Rさんは納得できませんでした。そこで、5月の連休後には紹介状を持ってB病院に足を運んだのですが、その頃は脱水もあってつらい感じで、体重は元気な時より8キロも痩せたと話されていました。

 さっそく行われた胃内視鏡検査では胃の襞が太くなっていて、バリウムによる胃エックス線検査では胃の出口のところが狭く細くなっていました。典型的なスキルス胃がんでした。さらに、CT検査で腹水を認めたことから、「がん性腹膜炎で手術は困難」と判断されました。

 その際、スキルス胃がんの特徴として「がんが胃粘膜の下に潜って進展し、その初期では胃内視鏡で見逃されることがある」と説明されました。Rさんと夫はとても落胆し、「大学病院なのにどうしてあの時、診断できなかったのか」と納得できませんでした。

 Rさんは食事が取れない状態だったため、入院して中心静脈から高カロリー輸液を行い、体力を回復しながら抗がん剤治療を始めることになりました。

「会社でこれまであんなに頑張ってきたのに、そして今まさに花咲こうとしているのに……私には神様はいないのかしら?」

「がんを見つけるのが遅くなり、こんな状態になってしまって、私の人生は何だったのだろう」

 RさんはベテランのE看護師にそう話したそうです。

■愛猫の話題に初めて笑顔を見せた

 4週間ほどの治療で上腹部の痛みなどはなくなり、次第に食事は取れるようになってきました。抗がん剤による副作用はほとんどなく、体調が良くなったある日、自宅へ1泊外泊しました。そして病院に戻ってきたRさんは、E看護師に初めて笑顔を見せ、次のように話されたといいます。

「猫のミーちゃんは元気だった。私からずっと離れなかった。私を忘れないでいてくれて安心した。ちゃんと自分でドアを開けて、猫専用のトイレに行くのよ。私、元気出して頑張らなくては、ね!」

 治療を開始してから6週後の胃内視鏡検査では、胃の異常に太い襞が元に戻り、狭くなっていた出口のところは改善していました。食事は全量摂取できるようになり、体重も回復。入院8週後には中心静脈カテーテルは抜去されて退院となり、以後は外来で通院治療することになったのです。

 退院の日、Rさんを担当していた医師チームの1人である研修医の男性医師が、こんな言葉をかけたそうです。

「良くなって本当に良かった。おめでとうございます。私は3カ月で別の科に回りますので、今後はお会いできないと思います。胃がんは良くなってはいますが、進んだがんですから治らないと思っていてください」

 Rさんのそばにいた夫は、一瞬ドキッとして「なぜ、今このうれしい時に医師は『治らない』と念を押すのか……」と思ったそうです。しかしRさんは、すぐに毅然としてこう答えました。

「いえ、治ります。私は治します」

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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