独白 愉快な“病人”たち

「白血病=死の病」というイメージを変えたい…友寄蓮さん

友寄蓮さん
友寄蓮さん(C)日刊ゲンダイ

 今年2月、水泳選手の池江璃花子さんが白血病を公表されました。そのとき、白血病経験者代表のような形でテレビ出演をしたんですが、「何だ? こいつ」となって大炎上しちゃったんです。

 放送後、「これでいいのか?」「私は何を伝えたいのか?」と退院して以来、久々に自問自答しました。「苦しかった」と言えば、いま病気と闘っている人の不安をあおってしまうし、「楽勝でした」というのも違う。ましてや同情を買いたいわけでもない……。最終的に「感謝の気持ち、前向きな思いを伝えたいんだ」という答えにたどり着きました。

 私が白血病になったのは高校2年生の冬でした。秋に熱や咳が出て病院で風邪薬をもらいました。それでもなかなか治らないので別の病院に行ったのですが、そこでも風邪だと言われたのです。そのうち、階段で息切れしたり、体育の授業も欠席気味になり、友人からは「顔色が悪いから病院に行ったほうがいいよ」と言われるようになりました。登校して席に着くと寝てしまい、気付くと昼休みだったり、テスト中に居眠りしてしまうほど常にだるくて、「学校を休みたい」と思うようになりました。

 そんな11月半ば、突然、鼻血が出て止まらなくなりました。両方の鼻の穴から流れ続けること4時間。それに加え、足や膝を触っているだけで指の痕が付くようになったので、子供の頃に通っていた小児科へ行ったんです。

 そこの先生は大きな病院の先生でもあるので、私の顔色を見るなり血液検査をしてくれました。数日後、検査結果を聞きに行くと、すぐに大きな病院に運ばれ、さらなる検査になりました。その頃は、もう具合が悪すぎて記憶があまりありません。

「白血病」を告知されたのは、病室のベッドで横たわりながらでした。あっさり言われたので実感もなければ不安もなく、むしろ「病名がわかったから治療が受けられる」という期待のほうが大きかった。

 初めは3カ月ぐらいの入院と通院という大人の治療プランだったのですが、1週間後に小児プランに変更になりました。当時は15~16歳というのがその境目の年齢だったようです。

■「死んでしまおう」と思ったことも

 医師から「1年間の入院です」と言われ、初めて自分の病気の深刻さを知りました。病気が治るかどうかよりも、「進学できるか」「その先はどうなる?」という不安のほうが大きかったですね。あとから聞いた話では、治療開始時、芽球(白血病細胞である可能性が高い血液細胞)が33%で、あと数日遅かったら命が危なかったくらいハイリスクな状態だったそうです。

 治療は抗がん剤の投与でした。胸元から心臓まで約30センチのカテーテルが通っていました。副作用の吐き気や脱毛は覚悟していたのですが、衝撃を受けたのはムーンフェースでした。ステロイドの大量投与で顔が真ん丸になるんです。お見舞いの人には「意外と元気そう。ちゃんと食べられているのね」と思われてしまいましたが、実は食事どころではありませんでした。口の中が全部口内炎になったんです。痛くてしゃべることもできないし、横になると膿が喉に詰まって吐いてしまうので、横にもなれません。点滴9本分の痛み止めでも足りなくて、麻薬のような強い薬で痛みを緩和させ、意識を朦朧とさせてやっと寝るという状態でした。

 夜、病室を抜け出して「死んでしまおう」と思ったこともありました。でも、いざとなるとやりたいことを思い出したり、母や友達の顔が浮かんで、「私、本当は生きたいんだ」と気づいたんです。

 それからは、未来の自分にメッセージを送ることが生きる支えになりました。たとえば、「友達とディズニーランドに行きましたか?」とか「夏は花火を見ましたか?」といったように自分自身と会話するのです。笑っている未来の自分がいたから、治療を続けられました。

 1年と言われた入院は、結局、1年4カ月になりました。課題を提出することで高校は卒業できましたが、いきなり社会に放り出されて何をすればいいのかわかりませんでした。アルバイトですら病気のことを言えば不採用になるし……。自分ができることは何かと考えたとき、「白血病=死の病」というイメージを変えたいと思いました。白血病から復活した姿を見せることで、闘病中の子供たちに希望を与えたい。芸能界を選んだのはそういう理由です。

「病気になってよかった」とは、この先どんなに恵まれたとしても絶対に言えません。ただ、病気を通して出会った人や思い出を大切にしたいとは思っています。亡くなってしまった年下の女の子もいました。彼女は「病気になったのが家族じゃなく自分でよかった」と言ったのです。その言葉にハッとして、周りを責めていた自分のカッコ悪さを思い知りました。いまでもつらいとき、「あの子なら何て言うかな」と考えます。

 元気になったいま、闘病中だった頃の自分に伝えたいのは、「未来の人生はすっごくいいよ」ということです(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽ともよせ・れん 1995年、東京都生まれ。高校2年生で発病した小児白血病(急性リンパ性白血病)の長い闘病を経て、高校卒業後に芸能界デビュー。2014年、準日テレジェニックに選ばれ、女優、モデルとしてテレビ、ラジオ、舞台などで活躍。献血に関するイベントやトークショー、闘病の経験を生かした講演活動などにも力を入れている。

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