がんと向き合い生きていく

迷惑をかけるから安楽死を──それではあまりに悲惨過ぎる

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 先日の参院選で、「安楽死制度を考える会」のこんな公約を新聞報道で目にしました。

「自分の最後は自分で決めたい。耐え難い痛みや辛い思いをしてまで延命をしたくない。家族などに世話や迷惑をかけたくない。人生の選択肢の一つとしてあると『お守り』のように安心」

 また、NHKのドキュメンタリー番組では、日本では認められていない安楽死を行うためにスイスまで出向いた日本人女性に密着し、医師の注射によって亡くなられる瞬間までが放映されました。取材したスタッフは、薬物注射をされる場面や亡くなる瞬間をどんな思いで見ていたのでしょう? いわば“殺人現場”を目の当たりにしていたのです。もし、私がその場にいたら、注射をやめさせていたと思います。

 安楽死は、薬物の投与などによって死に至らせる行為です。認めている国、認められていない国があるといわれますが、その死に医師が手を貸すことになります。

 ナチスの強制収容所に送られながら奇跡的に助かったオーストリアの精神科医、V・E・フランクルの言葉です。

「医者というのは、人間の社会から、殺害するために任命されたのでしょうか。医者が任命されたのは、できるかぎり命を救い、できるかぎり助け、そしてもう治せないときには看護するためではなかったでしょうか」

 安楽死制度を考える会は「耐え難い痛みや辛い思いをしてまで……」と言っています。しかし、現代は緩和医療の発達で、肉体的な痛みをコントロールすることができるようになりました。もし、死を前にして痛みなどでどうしても苦しい時には、「セデーション」と呼ばれる意識の低下を継続して維持する(持続睡眠)対処も可能になっています。ですから、彼らの言うことはほとんど当たらなくなっているといえます。

■人生の最期を自分で決めるのはとても難しい

 また、彼らは「家族などに世話や迷惑をかけたくない」とも言っています。しかしいくら健康でも、人は年を重ねるほど体力は衰え、身体的な苦痛は増えます。頭がしっかりしていても衰えてきます。人間、どうしても他人に迷惑をかけることになってくるのです。

 いまの日本は、多くは独居か1世帯2人です。一方が年老いて、あるいは生計のために仕事をしていて、もう一方の家族を世話するのは難しくなってきています。長時間ヘルパーさんを雇えるお金持ちは別ですが、家族に迷惑をかけないことは無理になってくるのです。

 だからこそ、介護施設などを充実させ、社会が面倒をみる、生きていくのに迷惑をかけてもいい社会……そのような環境にしなければならないと思います。生きていていいんだよ。そして、生きていくために迷惑をかけてもいいんだよ……。みんなが「安心して生きていられる」と思える社会です。日本は超高齢社会なのに、自分のことは自分でどうぞといった「自助」と言われる社会はおかしいのです。

 家族に迷惑をかける、だから安楽死を考える。それではあまりに悲惨すぎます。安楽死は人を殺すことです。ですから、安楽死について議論することもない、安楽死なんていう言葉もない――そういう世の中になって欲しいと思います。「何を理想ばかり言っているのか」と言われそうですが、それでも、そう思っています。

 家族など周囲の人と相談して、自分の最期の希望を話しておくこと(人生会議)も必要かもしれません。しかし、本当に死期がすぐそこに迫った時には、思いが違ってくる、「生きたい」という気持ちが湧いてくる患者さんを私はたくさん見てきました。人は生き物、生物ですから、それも当たり前でしょう。

 人は、自分の意思で生まれてきたわけではありません。自分でつくった体でもありません。それなのに、死を自分だけで、自分のことだけを考えて決められるのでしょうか。死に対しての自己決定権はあるのでしょうか。

 人生において「自分のことは自分で決める」のは大切なことですが、人生の最期を自分で決めるのはとても難しいことだと思うのです。

■本コラム書籍「がんと向き合い生きていく」(セブン&アイ出版)好評発売中

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事